私は天才?(独立編) [コラム]

 今回は長くてすみません。続編の続編です。

 教員を辞めてアメリカに語学留学を決めたものの、私は英語はさっぱりですし、飛行機は国内線も含め て1度も乗った事がありません。いきなり10数時間も飛行機に乗り、3ヶ月間(1学期)の留学生活です。今思うと無茶をしたものです。

 アメリカでは本当に沢山の事を勉強しました。
 私が留学したのは27才の時です。同じクラスには10代の生徒が沢山います。彼等は遊んでいても勉強した事が頭に入って行きますが、私はダメでした。仕 方なく(今迄した事がない)予習、復習と猛勉強です。それで何とか若いクラスメートに追い付いていました。そんなある日、担任がエクアドル人のパブロ、サ ウジアラビア人のアブドゥーそして私の3人に教室に残る様に言うのです。私はともかく後の二人は真面目で良く勉強し成績も日に日に上がっている優秀な生徒 です。日本の感覚では、残されるのは「出来の悪い生徒」「問題の有る生徒」です。彼等が残される理由がどうも理解出来ないのです。理由を聞くと「君達はと ても良く勉強している。」「だから特別授業をする。」と言うのです。確かに、彼等と私はいつも早く教室に入り、一番前の席を取り、予習をしていました。初 めはそれぞれで勉強していたのですが、段々と一緒に勉強する様になり、食事を一緒にしながら勉強する事も多くなりました。パブロは自分の夢を実現する為、 アブドゥーは生活の為、私は出来が悪いながらも何とか皆に追い付きたい一心で、と理由は様々ですが、一生懸命勉強したご褒美に特別授業をしてくれると言う のです。

 しかし、日本の感覚に慣れた私は残された理由が何となく納得行きません。その事を特別授業の間に質 問してみました。すると、彼は不思議そうな顔をし、「学校は勉強する所だ。」「勉強したくない人間より、勉強したい人間を大切にする方が自然ではない か?」と言うのです。言われてみればその通りです。そしてこれはクラスに活気をもたらしました。その特別授業が受けられずに悔しい思いをした他の生徒達も 次の特別授業を受ける為に猛勉強を始めたのです。そして、皆が競い合って勉強しました。不思議な事に皆ライバルでありながら、足を引っ張る者等誰もいませ ん。それどころか、一緒に勉強する仲間意識も芽生えて来ました。クラスがとても良いムードになって来たのです。私はそれ迄「叱られるのが恐い。」「恥をか くのが嫌だ。」の様に自分が追い詰められ、それから逃げる為に仕方無く努力をしていました。しかし、この時は違いました。勉強する事が楽しかったのです。 努力をしている等と言う感覚は全く有りませんでした。ただ、帰国する時、自分が勉強したノートを見てビックリ。ものすごい数でした。

 また、バンドの練習も日本とは大違いです。日本で私は良く人と違う演奏をして叱られました。「出て 行け。」「帰れ。」「お前は吹くな。」「へたくそ。」色々な事を指揮者に言われました。指揮棒を投げられた事もあります。私がボストン大学の音楽学部のバ ンドで同様の事をした時もやはり止められました。しかし指揮者の言葉は違いました。「MASA、何故今のような吹き方をしたのか皆に説明しなさい。」と言 うのです。私は悪戯で人と違う演奏をしていたのでは無く、考えが有ってそのような演奏をしていたのです。また、「どうせ怒られるのだろうな。」と思ってい たのに自分の意見を聞いてくれると言うのです。とても嬉しくなり。自分の考えを力説してしまいました。他のメンバーにとっては迷惑な話しだったかもしれま せんが、皆私の話を聞いています。私の未熟な英語で上手く説明出来なくなると助け舟を出してくれます。私の考えを元に様々なアイデアを出して来ます。そし て「それを試してみよう。」と言うのです。勿論、他のメンバーが同様の事をした時も同様に議論しました。また、練習中、質問を受けた時は必ず私なりの考え を返事する様にしました。その意見で相手の演奏を否定する様な事も何度かありました。「こんな事をしていると、いつかは喧嘩になるか、嫌われるかもしれな いな。」と思っていた(少なくとも日本ではそうだった)のですが、それどころか友人も増え、皆の信頼も得る事が出来ました。この話をアメリカ人の友人(学 生寮の寮長をしていたローレンス、今でも大親友です。)に話した所「お前は良い音楽を作りたいから色々発言するんだろ?」「皆、気持ちは同じだ。」「それ が何で喧嘩になるんだ?」と言うのです。言われてみればこれもその通りです。何で今迄は喧嘩になったのでしょう。日本では人と違う事をすると(ちゃんと考 えが有っても)叱られました。しかし、アメリカでは信頼を得、友人も増えたのです。

 そんな楽しい留学生活も、経済的理由で終わりにしなければならなくなりました。それを皆に話した 所、担任のジョンは「もっと学費の安い学校を紹介するからアメリカに残りなさい。」と言ってくれますし、バンドの指揮者であり音楽学部の教授のジェームス は「君なら奨学金が取れるはずだ。大学院に入学し、アメリカに残りなさい。」と言ってくれました。この時出来た友人の殆どが「帰るな、残れ。」と泣いてく れました。TBSの「うるるん滞在記」のラストシーンの様な光景です。どしらにしろ、ビザの書き換え、資金の調達(生活費)の為に日本に帰国しなければな りません。泣く々々帰国しました。しかし、現実は厳しく、音楽活動を続ければ資金は作れず、資金を作る為には音楽活動ができずで、楽器の技術を維持したま ま資金を稼ぐ事ができず、アメリカに戻る事が出来なくなってしまいました。この事を音楽学部のジェームスに手紙で連絡した所、彼がバーンスタイン(アメリカを代表する作曲家兼指揮者)に連 絡を取ってくれたらしく、バーンスタインから手紙が来たのです。これには驚きました。彼は当時、世界の若手演奏家を集めたオーケストラを作り世界を回って いました。手紙の内容は「そのオーケストラのクラリネット・パートに該当者がいない。」「オーディションをしたいからすぐにアメリカに来なさい。」と言う ものでした。それには報酬の事も書かれていました。それはボストンで数年間生活するのに十分な額でした。しかし、資金の関係で(航空チケットが買えなかっ たのです。)すぐにはアメリカに行けませんでした。そんなこんなしている間にバーンスタインが突然亡くなったのです。バーンスタインが亡くなった事でこの 話も無くなりました。バーンスタインが亡くなってもそのオーケストラは代わりの指揮者を立てて世界ツアーに出ました。その時クラリネットを吹いていたの が、私が憧れていたカー ル・ライスターです。因縁めいたものを感じてしまいました。

 アメリカを帰国する時に、クリスチャンの友人と教会に泊めてもらいながら(失礼な話、少しでも生活 費を浮かせる為だったのですが・・・)アメリカ横断旅行を1ヶ月程してきました。私は無宗教ですので、初めは抵抗があったのですが、そんな私を彼等は(勧 誘する事等一度も無く)受け入れてくれ、一人の人間として沢山の話をしてくれたのです。ある日「自分の生徒達の自慢の先生になりたい。」と言う、何となく 考えていた私の夢の話をした事があります。するとある神父は「人の為に何かしたいと考える人は沢山いる。」「でも、本当に人の為になれる人は少ない。」 「生徒の為で無く自分の為に演奏しなさい。」「そして自分をもっともっと磨きなさい。」「それが、いつか人の為になり、生徒の自慢にもなるはずです。」と 言ったのです。また、こんな事もありました。ロサンゼルスの教会に泊めてもらったお礼にクラリネットを演奏した時の話です。私は彼等に喜んでもらおうと、 アメリカのポップスやジャズの曲を演奏したのですが、今一つ盛り上がりません。そんなとき突然「『この道』を吹こう」と思い、吹き始めました。未だに理由 が思い出せません。どう考えても盛り上げるのには向いてない曲です。予想に反して皆は大喜び、それから「花」「砂山」「夏の思いで」等中学校の教科書に 載っていた日本の曲を吹き続け皆にとても喜んでもらえました。その演奏を聴いて喜んでくれた人が、私の演奏をあるクラリネット奏者に送り、話をしてくれま した。イスラエル人のギオラ・フェ イドマンです。詳しい事は(宗教の話ですので)良く分からないのですが、彼は宗教家としても多くの人の尊敬を集めているようで、そこの教会の方達 も何度も会い、彼の演奏も何度か聴いていたようです。するとすぐに彼から「講演でニューヨークに行く予定がある。」「会いたい。」と連絡があったのです。 しかし、彼がニューヨークに来るのは1ヶ月程先になるようです。さすがにそんなに長くお世話になる訳には行きませんし、ニューヨークに戻る旅費もありませ ん。彼に会う事はできなくなってしまいました。それを伝えると、彼からは「時期が来れば必ず会える。」「今はその時では無かったんだ。」「会える時を楽し みにしている。」と連絡がありました。

 「私はとことんついてない人間だ。」と落ち込みました。良いチャンスが何度も訪れながら、皆つかむ 事が出来なかったのです。落ち込んでいる私を教会の人達が旅行に連れて行ってくれました。デス・バレーです。皆は楽しそうに遊んでいますが、どうもそんな 気になれません。大きな岩の上に横になってボーっと空を見ていました。そんな時、「天職」と言う言葉が頭に浮かんだのです。それまで「天職」と言うと「他 人より優れた能力を持って生まれた人がそれを行かした仕事をする事。」だと考えていました。ところが、「悩んで、失敗して苦労する事が私の仕事(天職)な んだ。」と思ったのです。そしてその経験を「同じ様な悩みを持った人、同じ様な苦労をしている人、同じ様な失敗をしようとしている人の為に生かすのが私の 仕事(天職)なんだ。」と思ったのです。このホームページもその為に作りました。

 また、物は考え様です。腱鞘炎になる前の私は実力以上に自惚れ生意気でした。腱鞘炎になった事でそ んな自惚れ等吹き飛ばされてしまいました。腱鞘炎になった事でクラリネット以外の多くの事を学びました。腱鞘炎になった事で教員になり、そこで中学生のエ ネルギーを吸収したお陰で、アメリカに行く勇気が出来ました。そしてアメリカで多くの事を学びました。一生暮らしたいとさへ思ったアメリカを経済的な理由 で離れなければならなくなったお陰でバーンスタインから手紙がもらえたのです。経済的な理由で教会を転々としたお陰で、「自分」と言う者を考える事ができ たのです。そして(会えなかったのですが)ギオラ・フェイドマンと言うクラリネット奏者を知った事で私の音楽が変わりました。それを私なりに温め、作曲家 の星重昭さんの力を借りて実現したのが「トリオCGC」です。今、私は自分の為に音楽を楽しんでいます。その音楽で少しでも多くの方が喜んでくれればそれ で良いと思っています。昔は「お客さんの為に演奏するんだ。」みたいな生意気な事を言っていましたが、そんな事を思って実現できる人は超一流のごく一部の 音楽家です。私は無名の音楽家です。人並みはずれた才能も持ち合わせていません。また、手に爆弾を抱えています。無理は出来ません。こんな私が多くの人に 喜んでもらう演奏をする事等不可能です。しかし、音楽を楽しんでいます。そして楽しんでいる私を見て喜んでくれる人もいます。これで良いと思っています。 こんな考え方ができるようになったのも沢山の人が助けてくれたお陰です。私は付いていないのではなく、運が良いのです。運も才能の内ならばやはり私は天才 です。

 「自分には才能がない。」「自分は音楽に向かない。」とあきらめている方。「自分は下手だから人前 でなんか演奏できない。」と思っている方。本当にそうでしょうか?それは自分の演奏で聴く人達を技術的に100%納得させよう、完璧な演奏をしようとする からそう思うのです。音楽は楽しむ物です。そして趣味の音楽こそ自分の為にすれば良いのです。その演奏を聴いた人達に技術的な面で100%納得させる必要 があるでしょうか?完璧な演奏をする必要があるでしょうか?演奏している人達が心から音楽を楽しんでいれば、それは聴いている人達にも伝わります。そして その演奏を聴いた人が、演奏者と同じくらい楽しい気持ちになってもらえたら、それはそれで素晴らしい演奏と言えるのではないでしょうか。少しでも楽器が出 来るのなら、それで楽しむ事を考えて下さい。仲間を集め一緒に演奏して下さい。どんな編成だって良いじゃ無いですか。2~3曲出来るようになったら、人前 で演奏してみて下さい。ホームパーティーでも良いですし、何かのイベントに参加しても良いと思います。ちょっと奮発して会場を借りても良いでしょう。会場 もライブ・ハウスやコンサート会場ばかりが演奏する場所ではありません。地域の公民館、学校の体育館(貸してくれるところがあるはずです)、音楽教室やカ ラオケ・ボックスの広めの部屋等々アイデア次第で演奏する場所は幾らでもあります。その演奏の評価は「上手かった。」「下手だった。」では無く「楽しかっ た。」「楽しく無かった。」でするのが大切です。上手でもつまらない演奏より、下手でも楽しい演奏の方が人前で演奏するのには向いているはずです。技術を 見せあう神経質な演奏をするより、自分達が楽しんでいる演奏の方が聴く人も楽しいはずです。そして、聴く人は様々です。全員を納得させよう等とは思わない 事です。そう思って音楽を楽しんでいれば、必ずあなた方の前にも素晴らしい人が現れあなたを助けてくれるはずです。つまり、あなたも天才になれるのです。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。