シルバーシートなんか要らない! [コラム]

先日「僕の夢は歯医者に来る患者さんが居なくなる事なんです。」と言う歯科医の話を聞きました。
それを聞いて「同じ様な考え方をする人って居るんだな〜」と嬉しく思いました。

同じ様な考え方と言っても私は「歯医者が要らない。」と言っている訳ではありません。
私が言う迄もありませんが歯医者の仕事は歯の治療をする事です。
治療をすると言う事は歯に何かトラブルがあると言う事です。

この歯科医は予防を充実させ治療の必要がある人を減らしたいと言っていると思ったのです。
日常的に行っている事の中には知らずに本来の目的を忘れてしまっている事が少なくありません。
これらは必要の無い様々なトラブルを引き起こします。

そんな時発想の転換をして欲しいと言う気持ちで生徒さん達に向けて書き始めたのがこのコラムです。
駄文ばかりで心苦しいのですが多くの人に読んで頂き沢山のメッセージを頂きました。

先程の歯科医の話を聞いた時にこのコラムの最後に書こうと思っていた文章を未だに書いていない事を思い出したのです。

10年以上間が空いてしまいましたがやっと完結です。
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お年寄りや身体の不自由な人達、怪我をした方や妊婦の方達に優しい社会にする為の方法を考えている時に「シルバーシートは必要無いと思います。」と発言したらどうなるでしょう?
多くの人が不愉快な気持ちになり、中には「血も涙も無い奴だ!」と非難する人もいるかもしれません。

今回のタイトルを見た時に同様の気持ちになった人もいると思います。

日本ではある目的を達成する為にシンボルを作る事が一般的です。
シルバーシートは善意のシンボルです。
つまりシルバーシートを否定する事は善意を否定する事になってしまうのです。

でも本当にそうでしょうか?

本来は困っている人がいたら「優しくしてあげたい。」と考えるのが優しさですし、その人達の力になる為に行動を起こすのが善意なはずです。
シルバーシートだから席を譲ってあげるのでは無く、目の前に困っている人がいたら自然に席を譲ってあげられる様な社会が理想だと思います。

シルバーシートが必要の無い社会を目指す事もお年寄りや身体の不自由な人達、怪我をした方や妊婦の方達に優しい社会にする為の一つの方法です。

しかし日本ではシンボルを否定する事はタブーであり、シンボルを否定した瞬間多くの人が話をヤメてしまいますし、一部の人は攻撃体制に入ります。
つまり話し合いが出来なくなってしまうのです。

「シルバーシートは必要無いと思います。」と発言した時に「どうしてですか?」と聞いてくれる人は殆どいません。

この様にシンボルを作った事により本来の目的が分からなくなってしまっている事が沢山あります。
私は音楽(このコラムではサックス)を楽しみ上達する為に定説になっている事の中にもシンボル化し本来の目的を見失わせている事が沢山あると思っています。

この様な事を見直し本来の目的を思い出して欲しいと思っているのです。

また目的を達成する方法は一つではありません。
厳密に言えば目的を達成する方法は人の数だけあると思います。
ですから「どの方法が一番良いか?」と言う議論はいつまで経っても結論が出ませんし意味がありません。

私は「この方法が正しい。」と思った瞬間から間違いが始まると思っています。
ですから私は自分の意見が一番正しいとは思っていませんし、定説を否定している訳でもありません。
「定説だけが目的達成の方法ではありませんよ。」「こんな考え方も出来ますよ。」と言っているだけなのです。
そしてこれらをヒントにして自分に合った方法を見付けて欲しいと思っているのです。
興味を持って頂く為に若干過激なタイトルにしているものもあります。

その為にはタブーとされている“定説の否定”も必要だと思うのです。
定説を否定し他の方法を模索し結果的に定説に戻ったのであればそれがその人に一番良い方法なのです。
しかし定説が合わない人も沢山いるのです。
目的を達成する方法は幾つもあるのですから定説が合わないと言うだけでその人を否定してしまうのは間違いです。

ちょっと考えただけでもシンボル化してしまっている定説は沢山あります。

長時間の練習=熱心な練習
休み無く練習する=上達には不可欠
厳しい指導=本気の指導
優しい指導=甘い指導
辛い練習に耐える=努力している
楽器を揃える=音が合う
硬いリードを使う=良い音が出る
チューナーの表示で音を合わせる=チューニングの基本
吹奏楽の指導=コンクールで金賞を目指す
etc.

全ての事に目的があるはずです。
定説となっている事は過去に多くの場面で結果を出した事である事は間違いありません。
しかしこれらが現在や未来にも結果を出せるとは限りませんし、誰にでも当てはまる訳でもありません。

指導する立場の人は絶えず新しい考え方を学び選択肢を増やさなければなりませんし、目的達成の為に柔軟な対応を心掛けなければなりません。
自分のやり方を通す(定説に固執する)事が目的となり本来の目的を忘れてしまっている指導者が少なく無いのです。

音楽(楽器)を始める目的は一つではありません。
一番多いのが「音楽を楽しみたい。」と言う物でしょう。
しかし音楽の楽しみ方も様々です。
中には「プロになりたい。」と言う人もいるでしょう。
ただ楽しみたい人とプロになりたい人では練習内容も指導の仕方も変わって来ます。

個人レッスンであれば一人一人の要望に応える事は可能ですが、アンサンブルやバンド等複数の人が集まる場合は難しい問題が沢山出て来ます。
全員の要望を満たす事は不可能でしょう。

この場合はまずそのバンドの目指す方向をハッキリさせる事が大切です。
方法論(練習方法等)や考え方が違っても目的がハッキリしていればお互いを理解し合う事はそれ程難しく無いはずです。
方法論に拘るからぶつかるのです。

「山の頂上を目指す」等と言う目的がハッキリしていれば途中の登山道は話し合う事が出来るのです。
それどころかそれぞれ違う登山道を知っている人達が集まり力を合わせれば様々な面で有利に働くのです。

例えばグループで登山をする事になり、話し合った結果Aさんの提案した登山道を選択したとします。

登山を続けている間に予想していなかった落石がありその先に行く事が困難になりました。
するとBさんが近くにある登山道を知っていた為に登山を続ける事が出来ました。

更に登山を続けていると急に天候が悪化し全員の安全確保が難しくなりました。
しかしCさんが知っている登山道にある洞窟に全員避難し難を逃れる事が出来ました。

と言う様な感じです。

もし皆が自分の登山道の優位性ばかりを主張していたらどうでしょう?
Aさんの提案した登山道に落石があった時に他の人は「だから俺の言う通りにすれば良かったんだ。」とAさんに不信感を持つでしょう。
Aさんも意地になりBさんの登山道に迂回する事を拒否するかもしれません。

この様な状況では目的を達成する事は非常に難しくなります。

気持ちを合わせる為に皆が同じである必要は無いのです。
それぞれ違う者同士が同じ目的の為に知恵を出し合う事が出来れば皆が違った方が様々な面で有利なのです。

この様な考え方が出来れば一人一人が違う目的を持っているバンドでも気持ちを合わせる事は決して難しくありません。

シンボル化してしまった定説を鵜呑みにしている場合は論理的な裏付けが無いので話し合いが困難になる事も少なくありません。
一旦定説を疑い他の方法を考え模索する事は必要なのです。

何度も言いますがこの時には相性で考え正解を求めない事が大切です。


このコラムのタイトル「サックスなんか難しく無い!」と言うのも同じです。
音楽や楽器は学べば学ぶ程難しくなってきます。

しかし難しさを克服するだけが目的を達成する方法ではありませんし発想を変える事で克服出来る事もあります。
また難しいと認めてしまう事で「難しいから仕方無い。」と簡単に諦めたり、自分を甘やかしてしまうのも勿体無いと思います。

目的を見失わない様にして下さい。
そして目的達成の方法は一つではない事を忘れないで下さい。

自分と違う意見を持つ仲間の考え方を理解する努力は貴重です。
そしてこれを肥にして自分に合った音楽や楽器の楽しみ方を見付けて下さい。

自立した沢山のアマチュアの人達が音楽や楽器演奏を本気で楽しんでくれることが私の願いです。

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by お名前(必須) (2014-04-01 11:51) 

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