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シルバーシートなんか要らない! [コラム]

先日「僕の夢は歯医者に来る患者さんが居なくなる事なんです。」と言う歯科医の話を聞きました。
それを聞いて「同じ様な考え方をする人って居るんだな〜」と嬉しく思いました。

同じ様な考え方と言っても私は「歯医者が要らない。」と言っている訳ではありません。
私が言う迄もありませんが歯医者の仕事は歯の治療をする事です。
治療をすると言う事は歯に何かトラブルがあると言う事です。

この歯科医は予防を充実させ治療の必要がある人を減らしたいと言っていると思ったのです。
日常的に行っている事の中には知らずに本来の目的を忘れてしまっている事が少なくありません。
これらは必要の無い様々なトラブルを引き起こします。

そんな時発想の転換をして欲しいと言う気持ちで生徒さん達に向けて書き始めたのがこのコラムです。
駄文ばかりで心苦しいのですが多くの人に読んで頂き沢山のメッセージを頂きました。

先程の歯科医の話を聞いた時にこのコラムの最後に書こうと思っていた文章を未だに書いていない事を思い出したのです。

10年以上間が空いてしまいましたがやっと完結です。
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お年寄りや身体の不自由な人達、怪我をした方や妊婦の方達に優しい社会にする為の方法を考えている時に「シルバーシートは必要無いと思います。」と発言したらどうなるでしょう?
多くの人が不愉快な気持ちになり、中には「血も涙も無い奴だ!」と非難する人もいるかもしれません。

今回のタイトルを見た時に同様の気持ちになった人もいると思います。

日本ではある目的を達成する為にシンボルを作る事が一般的です。
シルバーシートは善意のシンボルです。
つまりシルバーシートを否定する事は善意を否定する事になってしまうのです。

でも本当にそうでしょうか?

本来は困っている人がいたら「優しくしてあげたい。」と考えるのが優しさですし、その人達の力になる為に行動を起こすのが善意なはずです。
シルバーシートだから席を譲ってあげるのでは無く、目の前に困っている人がいたら自然に席を譲ってあげられる様な社会が理想だと思います。

シルバーシートが必要の無い社会を目指す事もお年寄りや身体の不自由な人達、怪我をした方や妊婦の方達に優しい社会にする為の一つの方法です。

しかし日本ではシンボルを否定する事はタブーであり、シンボルを否定した瞬間多くの人が話をヤメてしまいますし、一部の人は攻撃体制に入ります。
つまり話し合いが出来なくなってしまうのです。

「シルバーシートは必要無いと思います。」と発言した時に「どうしてですか?」と聞いてくれる人は殆どいません。

この様にシンボルを作った事により本来の目的が分からなくなってしまっている事が沢山あります。
私は音楽(このコラムではサックス)を楽しみ上達する為に定説になっている事の中にもシンボル化し本来の目的を見失わせている事が沢山あると思っています。

この様な事を見直し本来の目的を思い出して欲しいと思っているのです。

また目的を達成する方法は一つではありません。
厳密に言えば目的を達成する方法は人の数だけあると思います。
ですから「どの方法が一番良いか?」と言う議論はいつまで経っても結論が出ませんし意味がありません。

私は「この方法が正しい。」と思った瞬間から間違いが始まると思っています。
ですから私は自分の意見が一番正しいとは思っていませんし、定説を否定している訳でもありません。
「定説だけが目的達成の方法ではありませんよ。」「こんな考え方も出来ますよ。」と言っているだけなのです。
そしてこれらをヒントにして自分に合った方法を見付けて欲しいと思っているのです。
興味を持って頂く為に若干過激なタイトルにしているものもあります。

その為にはタブーとされている“定説の否定”も必要だと思うのです。
定説を否定し他の方法を模索し結果的に定説に戻ったのであればそれがその人に一番良い方法なのです。
しかし定説が合わない人も沢山いるのです。
目的を達成する方法は幾つもあるのですから定説が合わないと言うだけでその人を否定してしまうのは間違いです。

ちょっと考えただけでもシンボル化してしまっている定説は沢山あります。

長時間の練習=熱心な練習
休み無く練習する=上達には不可欠
厳しい指導=本気の指導
優しい指導=甘い指導
辛い練習に耐える=努力している
楽器を揃える=音が合う
硬いリードを使う=良い音が出る
チューナーの表示で音を合わせる=チューニングの基本
吹奏楽の指導=コンクールで金賞を目指す
etc.

全ての事に目的があるはずです。
定説となっている事は過去に多くの場面で結果を出した事である事は間違いありません。
しかしこれらが現在や未来にも結果を出せるとは限りませんし、誰にでも当てはまる訳でもありません。

指導する立場の人は絶えず新しい考え方を学び選択肢を増やさなければなりませんし、目的達成の為に柔軟な対応を心掛けなければなりません。
自分のやり方を通す(定説に固執する)事が目的となり本来の目的を忘れてしまっている指導者が少なく無いのです。

音楽(楽器)を始める目的は一つではありません。
一番多いのが「音楽を楽しみたい。」と言う物でしょう。
しかし音楽の楽しみ方も様々です。
中には「プロになりたい。」と言う人もいるでしょう。
ただ楽しみたい人とプロになりたい人では練習内容も指導の仕方も変わって来ます。

個人レッスンであれば一人一人の要望に応える事は可能ですが、アンサンブルやバンド等複数の人が集まる場合は難しい問題が沢山出て来ます。
全員の要望を満たす事は不可能でしょう。

この場合はまずそのバンドの目指す方向をハッキリさせる事が大切です。
方法論(練習方法等)や考え方が違っても目的がハッキリしていればお互いを理解し合う事はそれ程難しく無いはずです。
方法論に拘るからぶつかるのです。

「山の頂上を目指す」等と言う目的がハッキリしていれば途中の登山道は話し合う事が出来るのです。
それどころかそれぞれ違う登山道を知っている人達が集まり力を合わせれば様々な面で有利に働くのです。

例えばグループで登山をする事になり、話し合った結果Aさんの提案した登山道を選択したとします。

登山を続けている間に予想していなかった落石がありその先に行く事が困難になりました。
するとBさんが近くにある登山道を知っていた為に登山を続ける事が出来ました。

更に登山を続けていると急に天候が悪化し全員の安全確保が難しくなりました。
しかしCさんが知っている登山道にある洞窟に全員避難し難を逃れる事が出来ました。

と言う様な感じです。

もし皆が自分の登山道の優位性ばかりを主張していたらどうでしょう?
Aさんの提案した登山道に落石があった時に他の人は「だから俺の言う通りにすれば良かったんだ。」とAさんに不信感を持つでしょう。
Aさんも意地になりBさんの登山道に迂回する事を拒否するかもしれません。

この様な状況では目的を達成する事は非常に難しくなります。

気持ちを合わせる為に皆が同じである必要は無いのです。
それぞれ違う者同士が同じ目的の為に知恵を出し合う事が出来れば皆が違った方が様々な面で有利なのです。

この様な考え方が出来れば一人一人が違う目的を持っているバンドでも気持ちを合わせる事は決して難しくありません。

シンボル化してしまった定説を鵜呑みにしている場合は論理的な裏付けが無いので話し合いが困難になる事も少なくありません。
一旦定説を疑い他の方法を考え模索する事は必要なのです。

何度も言いますがこの時には相性で考え正解を求めない事が大切です。


このコラムのタイトル「サックスなんか難しく無い!」と言うのも同じです。
音楽や楽器は学べば学ぶ程難しくなってきます。

しかし難しさを克服するだけが目的を達成する方法ではありませんし発想を変える事で克服出来る事もあります。
また難しいと認めてしまう事で「難しいから仕方無い。」と簡単に諦めたり、自分を甘やかしてしまうのも勿体無いと思います。

目的を見失わない様にして下さい。
そして目的達成の方法は一つではない事を忘れないで下さい。

自分と違う意見を持つ仲間の考え方を理解する努力は貴重です。
そしてこれを肥にして自分に合った音楽や楽器の楽しみ方を見付けて下さい。

自立した沢山のアマチュアの人達が音楽や楽器演奏を本気で楽しんでくれることが私の願いです。

このブログについて [はじめに!]

このブログは私のホームページに1998年〜2003年の間掲載していたコラムを転記したものです。
日本語でしか書いていないのに世界中の方々から沢山のメールを戴きました。
雑誌にも何度か掲載された事があり、インターネットの”情報発信源”としての威力に驚くきっかけにもなったものです。

私の様に”必要の無い怪我”で楽器を諦めたり、日常生活が不自由になる様な人達を少しでも減らしたいと言う気持ちで書き続けていました。
この気持ちは今でも変わっていないのですが、日々自分の”力の無さ”を痛感しています。

このコラムを書いてから何年か経ち変更や補足が必要になった部分が出て来た為新たに「悩めるSax吹きへの処方箋」と言うブログも書き始めました。
http://masamusic.blog.so-net.ne.jp/

この文章も少しでも多くの方の役に立てば嬉しく思います。


ホームページに掲載していた前書き

 「サックスなんか難しくない!」こんなことを言うと、多くの人が疑問を持つことでしょう。私自信もサックスの難しさを毎日のように味わっています。ですから、「サックスなんか簡単だ!」と言う気は全くありません。ただ、サックスを習い、勉強している方々の多くが必要以上にサックスを難しく感じているような気がしているのです。
「サックスなんか難しくない!」と言うのは「サックスはあなたが感じている程は難しくないはずですよ!」と言う意味です。

 サックスを習い、勉強している方々が、道具としての楽器の扱い方、教則本の使い方、そして趣味としての音楽の楽しみ方等を正しく理解し、ほんの少し考え方や練習の仕方を変えるだけで、サックスはより身近で楽しいものになっていくと思います。その為に「当たり前だ。」と思っていることを「本当に当たり前なのかな?」と考えてみることも無駄ではないと思います。

 これから、私が書いて行こうと思っている文章は「サックスは難しい。」「自分はサックス(音楽)に向いていないのではないか。」と感じている方々は勿論、趣味でサックスを楽しんでいる方を教えている先生方にも読んでいただきたいと思っています。

サックスでエステ [コラム]

 ここでの話は高校生の女の子から聞いた話が元になっています。彼女は「中学生の時少し吹いていたのですが、もう一度基礎から練習したいと。」レッスンを受けにきました。

 初めにアンブシュアの矯正です。シングル・リードの楽器(クラリネット、サックス等)を独学で勉強した方の多くがアンブシュアに癖を持っています。その中で最も多いのが「噛み付き型」のアンブシュアです。標準のマウスピースに厚めのリード(3半以上)を付けて、噛み付くようにくわえ力任せに吹くのがそれです。この吹き方の場合、音程、音色のコントロールが上手く出来ず、タンギングや音の立ち上がり(アインザッツ)が遅くなります。それよりも、一番心配なのが健康面です。

 「噛み付き型」のアンブシュアで吹いている方は、唇、歯、顎に絶えず負担をかけている事になります。唇にはリードをコントロールする為に必要な神経が沢山あります。唇を切った時にその神経までも切ってしまったらリードのコントロールが出来なくなってしまいます。歯に絶えず圧力をかけていると歯の噛み合わせが悪くなったり、歯茎にトラブルを起こしやすくなります。そして、最も多いのが顎関節症です。「噛み付き型」のアンブシュアが顎にかける負担は相当な物なのです。どの場合もひどくなると2度と楽器は吹けなくなってしまいます。これとは別に、肺に穴が空く(病名を忘れてしまいました)子供も増えているようです。
 彼女のも典型的な「噛み付き型」のアンブシュアで、リードはプロでも特別な時にしか使わない厚さの4(信じられない事に学校で使うように言われたそうです)を使っていました。唇はすぐに切れるそうでいつも歯には紙を巻いていました。そこで「そのままの吹き方だと唇にある大切な神経を切ってしまうよ。」「紙を巻かなくても痛くない正しいアンブシュアを身に付けようね。」「リードも標準の物(2半)を使おう。」「それから、そんな吹き方をしていると顎関節症になって楽器が吹けなくなっちゃうよ。」と言うと「実は今顎関節症の治療で病院に通っているのです。」と返事が返ってきました。もう、選択の余地はありません。 まず、アンブシュアの矯正をする事にしました。アンブシュアの矯正については「ワン・ポイント・レッスン」を見て下さい。

 彼女の場合既に顎を痛めているわけですので、ただ矯正をするだけでは楽器を吹く事に不安が残ります。顎の筋肉を鍛え、筋肉のギブスで顎を守る事にしました。そのトレーニングをしている時です。彼女が「これ、可愛い笑顔を作る体操と同じですね。」と言い出したのです。笑顔が可愛くなるかは分かりませんが、正しい吹き方で練習していると顔のぜい肉がとれ、引き締まってくるのは私も経験していました。少なくとも顔やせの効果はありそうです。

 アンブシュアの次はブレスです。「噛み付き型」のアンブシュアの方は、いつも狭いフェイジング(マウスピースとリードの隙間)で吹いている訳です。この場合楽器の中に余り息が入って行きません。つまり、息が必要ないのです。そんな吹き方をしている間にブレスが弱く(鍛えられなく)なってしまいます。逆にブレスが弱い方も「噛み付き型」のアンブシュアになりやすい様です。折角アンブシュアを矯正してもブレスが弱いせいでまた「噛み付き型」のアンブシュアに戻ってしまっては困るので、ブレス・トレーニングも平行して行いました。すると「あ〜、これウエストを細くする体操と同じだ〜。」と大喜びです。楽器の呼吸法がヨガの呼吸法と似ていると言う話は聞いた事はありましたが、ウエストを細くする効果があるとは思いませんでした。確かに、私は40歳過ぎている割には腹は出ていません。同業者(演奏家)を見ても腹が出ている者は殆どいません。これも効果がありそうです。そして、ブレスをコントロールし易くする為に胸の使い方を教えると「あ〜、これはバスト・アップの体操だ〜。」と益々大騒ぎです。

 しっかりしたブレスを支える為に、立ち方を指示すると「あ〜、これはヒップ・アップの体操と同じだ〜」「それに、太ももも締まりそう。」またも大はしゃぎです。使っている筋肉を考えるとヒップ・アップと太ももを引き締める効果も十分ありそうです。正しい奏法を身に付ける事はエステにもつながるかもしれません。

 考えてみると効果があるのはエステばかりでは無さそうです。私は子供の頃小児ぜんそくと診断され、治療を受けていました。ところが楽器を始めてから(高校生の頃から)治療はおろか発作も起きていません。ぜんそくの子供を3人教えた事がありますが、2人は私同様ぜんそくの発作が出なくなった様です。本当は3人とも私が教えている時は収まったのですが、1人は事情があり他の先生にレッスンを受ける事になり、奏法を変えられ、また発作が起こる様になったそうです。

 指を動かす事でボケ防止にも良さそうです。指もきれいになるのではないでしょうか?「噛み付き型」のアンブシュアでは唇が腫れてしまいますが、正しい吹き方は唇を引き締めます。また、エステだけでなく健康にも良いかもしれません。但し、これは正しい奏法で演奏した場合の話です。私が「楽器を吹きたい。」と言った時、父が「結核になるから止めなさい。」と言っていました。実際昔は多かった様です。しかしそれは吹き方が間違っていたのと当時の栄養状態があまり良くなかったのが原因の様で、このような事は今では殆どありませんが、間違った奏法で練習を続けると重大なトラブルを起こす可能性は(今でも)十分考えられます。

 私は経験と素人の知識だけで結論を出しているので、不安もありますが、正しい奏法で楽器を吹く事は健康にも良いし、エステにもつながると思っています。反対に間違った吹き方の中には取り返しの付かない怪我や病気を引き起こしてしまうものもあります。専門の知識をお持ちの方がもっと研究してインストラクターを養成し、「サックス・エステ」を作ったら面白いかもしれません。痩せながらサックスが上手になるのですから、女性に大人気、そうなれば商売としても・・・・取らぬたぬきの皮算用でした。

 冗談(皮算用)はともかく楽器を教える方々もスポーツ同様に、トレーニング方法、健康管理等をもっときちんと勉強し、楽器を楽しんでいる方々を必要のない怪我や病気から守ってあげて欲しいと思います。正直な気持ち、楽器に関しては全くの素人が学校の都合で顧問になり、厳しさだけで子供を指導する様な吹奏楽部は無くして欲しいと思っています。楽器演奏もスポーツ同様「指導の仕方によっては大きな怪我につながる危険性を持っている。」と言う事を認識して欲しいと思います。少なくとも、専門の知識を持った指導者が定期的に(子供だけでなく)顧問の先生も指導できる様なシステムを早く作って欲しいと思っています。正しい奏法を身に付け、効率良く上達した上に、健康になり、エステにもつながれば一石二鳥(三鳥?)です。沢山の方が正しい奏法に興味を持ってくれるのであれば「サックス・エステ」も悪くないかもしれません。

吹奏楽部の怪談 [コラム]

 今回は日本の吹奏楽部に伝わる沢山の怪談(迷信)について書きたいと思います。夏恒例の怖い話だと期待した方、申し訳ありません。

 何年か前、私の生徒(高校生)がアルバイトをして溜めたお金でクラリネットを買いたいと相談に来ました。「一生懸命アルバイトしたけれども、部活が毎日休み無くあり、中々お金が溜まらない。」「今あるお金で何とか良い楽器が買えないか。」と言う相談です。ここは私としても何とかしてあげたいと思い、早速、お茶の水の楽器店に勤める友人に事情を話し相談した所、中古で良さそうな物がある、値段も何とか予算内に収めてくれると言う事です。早速、試奏に行きました。
 その楽器は、見た所あまり使っていない楽器の様です。しかも、本体に使われている木の程度も良く、試奏した所、鳴り、音色共に文句無しです。バランスや音程に気になる所はあるものの、調整可能な範囲です。しかも、その調整は無料でしてくれると言う事です。調整は1時間程で済み、吹奏楽で高校生が吹くには文句無しの楽器が出来上がりました。その日、その生徒のレッスンがあったので、その楽器を持ち帰り生徒に吹かせた所、生徒も大喜びで購入を決めました。しかし、ここから怪談が始まるのです。

 次のレッスンの時私が「楽器の調子はどう?」と聞くと、生徒は「この楽器は良く無いから学校では吹かないように言われました。」と寂しそうに答えるのです。確認の為に吹いてみましたが問題ありません。生徒も気に入っていると言います。事情を聞くとこういう事の様です。
 その生徒が通う学校の吹奏楽部ではクラリネットはヤマハのカスタムに統一しているそうです。他の楽器を使うと音色、音程が合わないので使わせないそうです。マウスピースもバンドレンの5RVに、リードはバンドレンの3半を使う事になっているそうです。「未だにそんな学校があるのか・・・。」と唖然としました。

 ここでの怪談(怪しい話)は「楽器、マウスピース、リードを揃えれば音色、音程が合う」と信じている事です。先程例に上げた組み合わせが良く無いと言う事ではありません。
 仮に楽器を揃える事で音程が合うとしましょう。そうだとしても、合うのは全員がユニゾン(同じ音)で吹いた場合だけです。ハーモニーを吹く場合は和音の構成によって音程を調節しなければならないので、楽器が元々持っている音程は役に立ちません。ハーモニーの場合は同じ楽器を使っても演奏者に音程調節能力がなければ音は合わないのです。音程を調節する為には各人が自分に合ったマウスピース、リードを使う必要があります。体格、体力、顎の形、歯並びが違う人達が同じマウスピース、同じリードを使うのは無理があり、人によっては楽器のコントロールが出来ないだけでなく、身体を壊してしまう場合もあります。
 また、これらを揃えると本当に同じ音色になるのでしょうか?この答えは皆さんがいつも吹いている楽器をプロや上手な方に吹いてみてもらえばすぐに分かるはずです。楽器の音色は演奏者によって大きく変わるのです。これらはクラリネットだけで無くサックスや他の管楽器でも同じです。
 更に、吹奏楽の場合沢山の種類の楽器を使います。それぞれのパート毎に楽器等を揃えて(仮に)音色、音程が合ったとしても、全体で音程、音色等のバランスがとれていなければ殆ど意味がありません。

 次の怪談は「音程に個人差がある」と言う事です。
 中学校や高校の吹奏楽部を教えに行って最初に気になるのがチューニングの考え方ですが、この話は長くなってしまうのでここでは個人差に関してのみお話します。
 「私は音が高いので他の人よりチューニング管(サックスの場合はマウスピース)を抜いています。」とかその反対の話を良く聞きます。これは個人差でしょうか?私は違うと思います。楽器の音程は物理的に決まります。ですから、同じ楽器を使えば誰が吹いても同じ音程が出るはずです。最近の楽器は大変良くできています。楽器毎のピッチ(音程)の差は殆どありません。ですから、チューニングは皆同じにしておけば合うはずです。ただ、口の中の容積を変える事で音程はある程度変化させる事が出来ます。ですから、実際にはいつも音が高い人、低い人は存在します。
 いつも音が高い人は口の中の容積がいつも狭いはずです。口の中の容積が狭い人の多くは力任せに吹く癖があるはずです。このような人の場合厚いリード(3以上)を使っている場合が多く、吹く度に唇を傷めている人が多いはずです。そのまま続けていれば顎関節症になる事も多く、そうなれば大好きなサックスも吹けなくなってしまいます。
 また、いつも音が低い人は口の中の容積が広い人です。この様な人の場合は唇や顎等を傷める心配はないのですが、息のスピードが上がらないので、中々良い音がでません。高い音が苦手な人も多いはずです。
 つまり、これらは個人差ではなく奏法に問題があるのです。体を傷めない為にも、楽器が早く上達する為にも、標準のチューニングで音が合う奏法を身に付けた方が良いと思います。
 正しい奏法を身に付けていれば、個人差はないはずです。

 おまけでもう一つ音程の怪談です。これは「楽器が温まると音が高くなる。」と言う物です。
 楽器が温まると楽器は膨張します。つまり楽器の容積は大きくなるのです。楽器の容積が大きくなれば楽器の音程は下がるはずです。しかし、多くの場合楽器が温まると音程が上がります。これは楽器の問題では無く演奏者の問題だと思います。
 私はクラシックでもジャズでも良く楽器を持ち替えます。その場合、吹いている楽器は暖かく、吹いていない楽器は冷たくなります。もし、楽器が温まると音が高くなるのであれば、吹いている(暖かい)楽器の音は高くなり、吹いていない(冷たい)楽器の音は低くなるばずです。しかし、実際にはその様な事は起こりません。吹いていた(暖かい)楽器の音が高ければ、置いてあった(冷たい)楽器の音も高くなります。つまり、楽器の温度ではなく演奏者の身体の温まり具合で音程が変わると言う事です。

 最後に「厚いリードを使っている人は上手い。」というのも多くの吹奏楽部に伝わる怪談の一つです。
 もっとすごい話では「唇から血が出る迄練習しろ。」「何度か切っている間に唇が丈夫になり良い音が出るようになる。」と言う物もありました。これらに共通する考え方は「辛い練習に耐えろ。」「そうすれば上手くなる。」と言う物です。
 私は好きではありませんが、辛い練習に耐える事も時には必要かもしれません。しかし、辛い練習をしたために身体を壊してしまったり、悪い癖を付けてしまったのでは、何の為の辛い練習なのか分からなくなってしまいます。

 本当に上手な人とは楽器コントロールの上手い人と言えるでしょう。楽器コントロールがし易いリードは薄いリードです。ただ、薄いリードにも欠点があります。「良い音色を出すのが難しい。」「フォルテ(大きな音)を出すのが難しい。」というのがそれです。しかし、楽器を上手にコントロール出来る人はこれらも上手にコントロールします。薄いリード持つ表現力を厚いリードに求めるのは殆ど無理でしょう。しかし、厚いリードの持つ音色やダイナミクス(音量)は上手になれば薄いリードでも可能です。つまり、本当に上手い人は薄いリードを使いこなしているのです。
 また、唇にはリードをコントロールする為に必要な(大事な)神経が何本もあります。唇を切った時にそれらを切ってしまうこともあります。神経を切ってしまえばリードのコントロールは出来なくなってしまいます。どんな理由があろうと唇を切る迄練習をしてはいけません。

 吹奏楽部の怪談はまだまだあります。また、皆さんの吹奏楽部にも怪談がありましたらお知らせ下さい。機会を見てまた取り上げたいと思います。


追記

この文章には一つだけ「問題提起」を意図した文章があります。
「楽器が温まると…」と言う話です。

経験上、楽器の温度で若干音程が変わる事は体験していますが、多くの場合調節可能な範囲です。

しかし、これを必要以上に(神経質な迄に)気にし音程が合わない理由にする人が多いので「本当にそうなの?」と問題提起をしてみたのです。

「楽器が暖まると音程が下がる。」と言う(経験とは反対の)事を言う為の屁理屈を考えたのですが、良いアイデアが無く「膨張して容積が増える」等と言う誰が見ても間違っている理由しか浮かびませんでした。

当時のアクセス数(1日に数十件)から考えると相当数の反論が来る事を覚悟したのですが、反論は1件のみでした。

それには温度差による音程の変化と、同じ温度差で考えられる容積の変化の計算式が添えられ、楽器が温まると音程が高くなる可能性が高いと言う結論が導かれていました。
但し、楽器にはそれ以外の要素も関係している可能性が高く正確には検証する必要があるとの事でした。

私もこの考え方には賛成です。


後日、この文章を読んだと言う友人達に意見を聞いた所「変だとは思ったけど正面切って反論する裏付けがない。」と言う様な意味の返答ばかりでした。

定説になっている事でありながら皆半信半疑なのです。
やはり何らかの形で実験し、検証する必要はあると思っています。

この様に定説となっている事でも科学や理論で証明されている事は非常に少ないのです。
ですから定説に拘り過ぎる事無く柔軟に考えて頂きたいと思います。

私は天才?(独立編) [コラム]

 今回は長くてすみません。続編の続編です。

 教員を辞めてアメリカに語学留学を決めたものの、私は英語はさっぱりですし、飛行機は国内線も含め て1度も乗った事がありません。いきなり10数時間も飛行機に乗り、3ヶ月間(1学期)の留学生活です。今思うと無茶をしたものです。

 アメリカでは本当に沢山の事を勉強しました。
 私が留学したのは27才の時です。同じクラスには10代の生徒が沢山います。彼等は遊んでいても勉強した事が頭に入って行きますが、私はダメでした。仕 方なく(今迄した事がない)予習、復習と猛勉強です。それで何とか若いクラスメートに追い付いていました。そんなある日、担任がエクアドル人のパブロ、サ ウジアラビア人のアブドゥーそして私の3人に教室に残る様に言うのです。私はともかく後の二人は真面目で良く勉強し成績も日に日に上がっている優秀な生徒 です。日本の感覚では、残されるのは「出来の悪い生徒」「問題の有る生徒」です。彼等が残される理由がどうも理解出来ないのです。理由を聞くと「君達はと ても良く勉強している。」「だから特別授業をする。」と言うのです。確かに、彼等と私はいつも早く教室に入り、一番前の席を取り、予習をしていました。初 めはそれぞれで勉強していたのですが、段々と一緒に勉強する様になり、食事を一緒にしながら勉強する事も多くなりました。パブロは自分の夢を実現する為、 アブドゥーは生活の為、私は出来が悪いながらも何とか皆に追い付きたい一心で、と理由は様々ですが、一生懸命勉強したご褒美に特別授業をしてくれると言う のです。

 しかし、日本の感覚に慣れた私は残された理由が何となく納得行きません。その事を特別授業の間に質 問してみました。すると、彼は不思議そうな顔をし、「学校は勉強する所だ。」「勉強したくない人間より、勉強したい人間を大切にする方が自然ではない か?」と言うのです。言われてみればその通りです。そしてこれはクラスに活気をもたらしました。その特別授業が受けられずに悔しい思いをした他の生徒達も 次の特別授業を受ける為に猛勉強を始めたのです。そして、皆が競い合って勉強しました。不思議な事に皆ライバルでありながら、足を引っ張る者等誰もいませ ん。それどころか、一緒に勉強する仲間意識も芽生えて来ました。クラスがとても良いムードになって来たのです。私はそれ迄「叱られるのが恐い。」「恥をか くのが嫌だ。」の様に自分が追い詰められ、それから逃げる為に仕方無く努力をしていました。しかし、この時は違いました。勉強する事が楽しかったのです。 努力をしている等と言う感覚は全く有りませんでした。ただ、帰国する時、自分が勉強したノートを見てビックリ。ものすごい数でした。

 また、バンドの練習も日本とは大違いです。日本で私は良く人と違う演奏をして叱られました。「出て 行け。」「帰れ。」「お前は吹くな。」「へたくそ。」色々な事を指揮者に言われました。指揮棒を投げられた事もあります。私がボストン大学の音楽学部のバ ンドで同様の事をした時もやはり止められました。しかし指揮者の言葉は違いました。「MASA、何故今のような吹き方をしたのか皆に説明しなさい。」と言 うのです。私は悪戯で人と違う演奏をしていたのでは無く、考えが有ってそのような演奏をしていたのです。また、「どうせ怒られるのだろうな。」と思ってい たのに自分の意見を聞いてくれると言うのです。とても嬉しくなり。自分の考えを力説してしまいました。他のメンバーにとっては迷惑な話しだったかもしれま せんが、皆私の話を聞いています。私の未熟な英語で上手く説明出来なくなると助け舟を出してくれます。私の考えを元に様々なアイデアを出して来ます。そし て「それを試してみよう。」と言うのです。勿論、他のメンバーが同様の事をした時も同様に議論しました。また、練習中、質問を受けた時は必ず私なりの考え を返事する様にしました。その意見で相手の演奏を否定する様な事も何度かありました。「こんな事をしていると、いつかは喧嘩になるか、嫌われるかもしれな いな。」と思っていた(少なくとも日本ではそうだった)のですが、それどころか友人も増え、皆の信頼も得る事が出来ました。この話をアメリカ人の友人(学 生寮の寮長をしていたローレンス、今でも大親友です。)に話した所「お前は良い音楽を作りたいから色々発言するんだろ?」「皆、気持ちは同じだ。」「それ が何で喧嘩になるんだ?」と言うのです。言われてみればこれもその通りです。何で今迄は喧嘩になったのでしょう。日本では人と違う事をすると(ちゃんと考 えが有っても)叱られました。しかし、アメリカでは信頼を得、友人も増えたのです。

 そんな楽しい留学生活も、経済的理由で終わりにしなければならなくなりました。それを皆に話した 所、担任のジョンは「もっと学費の安い学校を紹介するからアメリカに残りなさい。」と言ってくれますし、バンドの指揮者であり音楽学部の教授のジェームス は「君なら奨学金が取れるはずだ。大学院に入学し、アメリカに残りなさい。」と言ってくれました。この時出来た友人の殆どが「帰るな、残れ。」と泣いてく れました。TBSの「うるるん滞在記」のラストシーンの様な光景です。どしらにしろ、ビザの書き換え、資金の調達(生活費)の為に日本に帰国しなければな りません。泣く々々帰国しました。しかし、現実は厳しく、音楽活動を続ければ資金は作れず、資金を作る為には音楽活動ができずで、楽器の技術を維持したま ま資金を稼ぐ事ができず、アメリカに戻る事が出来なくなってしまいました。この事を音楽学部のジェームスに手紙で連絡した所、彼がバーンスタイン(アメリカを代表する作曲家兼指揮者)に連 絡を取ってくれたらしく、バーンスタインから手紙が来たのです。これには驚きました。彼は当時、世界の若手演奏家を集めたオーケストラを作り世界を回って いました。手紙の内容は「そのオーケストラのクラリネット・パートに該当者がいない。」「オーディションをしたいからすぐにアメリカに来なさい。」と言う ものでした。それには報酬の事も書かれていました。それはボストンで数年間生活するのに十分な額でした。しかし、資金の関係で(航空チケットが買えなかっ たのです。)すぐにはアメリカに行けませんでした。そんなこんなしている間にバーンスタインが突然亡くなったのです。バーンスタインが亡くなった事でこの 話も無くなりました。バーンスタインが亡くなってもそのオーケストラは代わりの指揮者を立てて世界ツアーに出ました。その時クラリネットを吹いていたの が、私が憧れていたカー ル・ライスターです。因縁めいたものを感じてしまいました。

 アメリカを帰国する時に、クリスチャンの友人と教会に泊めてもらいながら(失礼な話、少しでも生活 費を浮かせる為だったのですが・・・)アメリカ横断旅行を1ヶ月程してきました。私は無宗教ですので、初めは抵抗があったのですが、そんな私を彼等は(勧 誘する事等一度も無く)受け入れてくれ、一人の人間として沢山の話をしてくれたのです。ある日「自分の生徒達の自慢の先生になりたい。」と言う、何となく 考えていた私の夢の話をした事があります。するとある神父は「人の為に何かしたいと考える人は沢山いる。」「でも、本当に人の為になれる人は少ない。」 「生徒の為で無く自分の為に演奏しなさい。」「そして自分をもっともっと磨きなさい。」「それが、いつか人の為になり、生徒の自慢にもなるはずです。」と 言ったのです。また、こんな事もありました。ロサンゼルスの教会に泊めてもらったお礼にクラリネットを演奏した時の話です。私は彼等に喜んでもらおうと、 アメリカのポップスやジャズの曲を演奏したのですが、今一つ盛り上がりません。そんなとき突然「『この道』を吹こう」と思い、吹き始めました。未だに理由 が思い出せません。どう考えても盛り上げるのには向いてない曲です。予想に反して皆は大喜び、それから「花」「砂山」「夏の思いで」等中学校の教科書に 載っていた日本の曲を吹き続け皆にとても喜んでもらえました。その演奏を聴いて喜んでくれた人が、私の演奏をあるクラリネット奏者に送り、話をしてくれま した。イスラエル人のギオラ・フェ イドマンです。詳しい事は(宗教の話ですので)良く分からないのですが、彼は宗教家としても多くの人の尊敬を集めているようで、そこの教会の方達 も何度も会い、彼の演奏も何度か聴いていたようです。するとすぐに彼から「講演でニューヨークに行く予定がある。」「会いたい。」と連絡があったのです。 しかし、彼がニューヨークに来るのは1ヶ月程先になるようです。さすがにそんなに長くお世話になる訳には行きませんし、ニューヨークに戻る旅費もありませ ん。彼に会う事はできなくなってしまいました。それを伝えると、彼からは「時期が来れば必ず会える。」「今はその時では無かったんだ。」「会える時を楽し みにしている。」と連絡がありました。

 「私はとことんついてない人間だ。」と落ち込みました。良いチャンスが何度も訪れながら、皆つかむ 事が出来なかったのです。落ち込んでいる私を教会の人達が旅行に連れて行ってくれました。デス・バレーです。皆は楽しそうに遊んでいますが、どうもそんな 気になれません。大きな岩の上に横になってボーっと空を見ていました。そんな時、「天職」と言う言葉が頭に浮かんだのです。それまで「天職」と言うと「他 人より優れた能力を持って生まれた人がそれを行かした仕事をする事。」だと考えていました。ところが、「悩んで、失敗して苦労する事が私の仕事(天職)な んだ。」と思ったのです。そしてその経験を「同じ様な悩みを持った人、同じ様な苦労をしている人、同じ様な失敗をしようとしている人の為に生かすのが私の 仕事(天職)なんだ。」と思ったのです。このホームページもその為に作りました。

 また、物は考え様です。腱鞘炎になる前の私は実力以上に自惚れ生意気でした。腱鞘炎になった事でそ んな自惚れ等吹き飛ばされてしまいました。腱鞘炎になった事でクラリネット以外の多くの事を学びました。腱鞘炎になった事で教員になり、そこで中学生のエ ネルギーを吸収したお陰で、アメリカに行く勇気が出来ました。そしてアメリカで多くの事を学びました。一生暮らしたいとさへ思ったアメリカを経済的な理由 で離れなければならなくなったお陰でバーンスタインから手紙がもらえたのです。経済的な理由で教会を転々としたお陰で、「自分」と言う者を考える事ができ たのです。そして(会えなかったのですが)ギオラ・フェイドマンと言うクラリネット奏者を知った事で私の音楽が変わりました。それを私なりに温め、作曲家 の星重昭さんの力を借りて実現したのが「トリオCGC」です。今、私は自分の為に音楽を楽しんでいます。その音楽で少しでも多くの方が喜んでくれればそれ で良いと思っています。昔は「お客さんの為に演奏するんだ。」みたいな生意気な事を言っていましたが、そんな事を思って実現できる人は超一流のごく一部の 音楽家です。私は無名の音楽家です。人並みはずれた才能も持ち合わせていません。また、手に爆弾を抱えています。無理は出来ません。こんな私が多くの人に 喜んでもらう演奏をする事等不可能です。しかし、音楽を楽しんでいます。そして楽しんでいる私を見て喜んでくれる人もいます。これで良いと思っています。 こんな考え方ができるようになったのも沢山の人が助けてくれたお陰です。私は付いていないのではなく、運が良いのです。運も才能の内ならばやはり私は天才 です。

 「自分には才能がない。」「自分は音楽に向かない。」とあきらめている方。「自分は下手だから人前 でなんか演奏できない。」と思っている方。本当にそうでしょうか?それは自分の演奏で聴く人達を技術的に100%納得させよう、完璧な演奏をしようとする からそう思うのです。音楽は楽しむ物です。そして趣味の音楽こそ自分の為にすれば良いのです。その演奏を聴いた人達に技術的な面で100%納得させる必要 があるでしょうか?完璧な演奏をする必要があるでしょうか?演奏している人達が心から音楽を楽しんでいれば、それは聴いている人達にも伝わります。そして その演奏を聴いた人が、演奏者と同じくらい楽しい気持ちになってもらえたら、それはそれで素晴らしい演奏と言えるのではないでしょうか。少しでも楽器が出 来るのなら、それで楽しむ事を考えて下さい。仲間を集め一緒に演奏して下さい。どんな編成だって良いじゃ無いですか。2~3曲出来るようになったら、人前 で演奏してみて下さい。ホームパーティーでも良いですし、何かのイベントに参加しても良いと思います。ちょっと奮発して会場を借りても良いでしょう。会場 もライブ・ハウスやコンサート会場ばかりが演奏する場所ではありません。地域の公民館、学校の体育館(貸してくれるところがあるはずです)、音楽教室やカ ラオケ・ボックスの広めの部屋等々アイデア次第で演奏する場所は幾らでもあります。その演奏の評価は「上手かった。」「下手だった。」では無く「楽しかっ た。」「楽しく無かった。」でするのが大切です。上手でもつまらない演奏より、下手でも楽しい演奏の方が人前で演奏するのには向いているはずです。技術を 見せあう神経質な演奏をするより、自分達が楽しんでいる演奏の方が聴く人も楽しいはずです。そして、聴く人は様々です。全員を納得させよう等とは思わない 事です。そう思って音楽を楽しんでいれば、必ずあなた方の前にも素晴らしい人が現れあなたを助けてくれるはずです。つまり、あなたも天才になれるのです。

私は天才?(社会人編) [コラム]

 前回の続きです。

 右手に爆弾(腱鞘炎)を抱えてはいたものの楽天家の私は大学を卒業をしたらプロの演奏家になりたいと(漠然と)考えていました。しかし、この時点でもまだ自分の音楽における夢が見つかっていません。結局、色々な人を巻き込んで色々な偶然が重なり、気が付いて見ると私は横浜市の中学校の音楽教諭になっていました。他人事の様に言っていますが、本当にそんな感じでした。

 ここでは生徒達に多くの事を教えられます。私が勤めた頃全国の中学校はとても荒れていました。私が勤めた中学校も例外では無く、全国版に載るような事件を起こした学校です。私は吹奏楽部の顧問を希望したのですが、「破損の危険があるので高価な楽器が必要な吹奏楽部は作れない。」と言う理由で吹奏楽部そのものがありません。そこで、学校に働きかけて吹奏楽部を作る事から始めました。校長の許可をもらい、職員会議でもOKが出たのですが、急な話だったので予算の工面が出来ません。吹奏楽部が出来たのに楽器が買えないのです。しかし、沢山の生徒が入部して来ました。

 吹奏楽部と言っても楽器が無いのですから、練習が出来ません。仕方なくトレーニングをする事にします。腹筋、背筋等の筋肉のトレーニング、手拍子、足拍子等を使ったリズム・トレーニング、歌を歌ったりして音感トレーニング(ソルフェージュ)、そして、様々なジャンルの音楽家、演奏家、オーケストラやバンドの演奏をビデオで見せ、それぞれに付いて音楽的な説明をするようにしたのです。このような状態は数カ月続きました。毎日同じ事をしていては生徒も飽きてしまいます。また、トレーニングも適当にする訳には行きません。私も色々な人に聞いたり、本を読んで勉強したり、練習を工夫したりしなければなりませんでした。ここで勉強した事が今とても役に立っているのです。

 楽器も無いのに毎日練習している生徒を見て学校側もPTAも(条件付きで)特別に予算を出してくれました。私が高校生の頃からお世話になっているセントラル楽器の社長の協力のお陰で何とか全員に行き渡るだけの楽器は揃いましたが、数を多くする為に高価な楽器(低音楽器や大形の打楽器類)は揃えられません。学校側やPTAから出された条件は「出来るだけ早い時期に全校生徒の前で演奏する事。」でした。それまでの私の常識では不可能です。しかし、生徒達は私が思いもよらないアイデアで、不可能を可能にして行きます。あっと言う間に校歌の伴奏ができる様になってしまいました。彼等は、それまでのトレーニングや知識をきちんと消化していたのです。彼等はまだまだ不十分な技術しか持っていないにもかかわらず、しっかりと音楽創りが出来るのです。勿論、大人から見ればまだまだ幼稚な部分、不十分な部分は沢山あります。しかし、彼等なりの音楽創りが出来るのです。

 教員になって2年程経った頃から腱鞘炎を患った右手の調子が良く有りません。病院で診察してもらうと腱鞘炎どころか軽い右半身麻痺になっている事が解りました。3つの大学病院で検査をしましたが、同じ診断でです。楽器どころか日常生活そのものが不安になってきました。そんな時、あの吉岡先輩が仕事中にアキレス腱を切ってくれた(?)のです。休みに、吉岡さんの入院している片山記念病院にお見舞いに行きました。吉岡さんは入院患者とは思えない程元気です。私の顔を見るなり「良い所に来たな。」「退屈してたんだお茶飲みに行こう。」と言い出し外出許可をもらいに行きました。吉岡さんの元気さは半端ではありません。駐車場で待っていると「これ持って歩かないと看護婦がうるさいんだよな~。」と松葉杖を肩に担いで現れました。まるで亀有派出所の両津さんの様な人です。そこで話をしている時に「ここの院長良いぞ。」「お前も見てもらったらどうだ?」「どうせダメ元だろ。」と言うのです。

 3つの大学病院で同じ結果だったので今更結果が変わるとは思えません。吉岡さんの言う通り「ダメで元々」と言う気持ちで見てもらいました。やはり結果は同じです。ただ、検査結果をみて「あ~、こりゃダメだ。」と院長が明るく言ったのには驚きました。その明るさにキョトンとしていた私に院長は「君、何かやりたい事は無いのか?」と聞くのです。「もしかすると相当悪いのかな?」と不安になりながら、「出来ればまたクラリネットが吹きたい・・・です。」と元気なく答えると「医者が治せるのは病気の3割程度だ。」「後の7割は本人の『治りたい』と言う気持ちが必要なんだ。」「それにはやりたいことをするのが一番。」「クラリネットを吹きなさい。」と言うのです。私が「でも、どこの病院でも『これ以上腕に負担をかけてはダメだ。』と言われました。」と答えると。「確かに、悪い所を無理に使えば病気は悪くなる。」「しかし、人間の体は上手く出来ているんだ。」「悪い所があってもそれを補う機能がちゃんと備わっているんだ。」「そこを上手く使ってあげれば、またクラリネットが吹けるはずだ。」と言ったのです。学校で校長とその件について話した結果、2ヶ月間療休を取り、治療とリハビリをする事になりました。プラス志向の院長と話をし、トレーニング・ルームでトレーニングをした後、元気な入院患者の吉岡さんのお見舞いに行くと言う日々が続く間に、私も元気な病人になって行きました。

 私が休んでいる間にも生徒達はどんどん不可能を可能にして行きます。それにつられる様に私も(治りはしないものの)悪かった体調が見る見る回復して行きます。「またクラリネットが吹けるかもしれない。」と確信が持てる様になってきました。そんな時、その年の鑑賞会でオーケストラを呼ぶと言う事が職員会議で決まったのです。担当は私ですが予算に限りがあり中々思う様に行きません。それで小笠原先生にその件で相談した所すぐに知り合いに連絡を取って、鑑賞会の為のオーケストラを作る事になりました。連絡が来たメンバーとプログラムを見てビックリ。クラリネット・パートは私と小笠原先生です。しかも私が指揮を振りながらモーツァルトのコンチェルトを吹くと言うおまけまで付いていました。私が「腕の調子も良く無いし、1年以上も楽器を吹いていないので無理です。」と電話をすると「君ならできるはずだよ。」「やってみなさい。」と珍しく強い口調で言われました。慌ててカビの生えたクラリネットを掃除し、練習開始です。すると動かない指でも工夫すれば吹ける様になってきます。生徒達と音楽創りをしている間に私自身も少しは柔軟な考え方ができる様になったようですし、小笠原先生に教えてもらった事が生徒達の協力で消化出来た様です。そして、大学時代には良く解らなかった事が少しずつ見えて来るのです。また、大学時代楽器が吹けなかった時に指揮とアレンジを勉強したお陰で、スコアも何とか読めましたし、指揮も迷惑をかけない程度には振る事が出来ました。

 本番当日、私がコンチェルトの出番の前に舞台そでで準備していると小笠原先生が私が使う譜面台を片付けてしまいました。「暗譜で吹け。」と言われるのかと思い「完全には暗譜出来ていないんですけれども。」と言うと。「君は何もない舞台に一人で堂々と入って行きなさい。」「譜面台は僕が後から持って行ってあげるから。」と言うのです。舞台にはすでにオーケストラのメンバーが座っています。その前には少し広い空間が作られ今は何も置かれていません。そこに一人で堂々と入って行けというのです。言う通りにすると何とも良い気分になって来ます。緊張や不安等どこかに吹っ飛んでしまいました。暫くするとニコニコ顔の小笠原先生が譜面台を持って入ってきます。ここで私の何かが変わった様な気がします。ステージの上がとても居心地が良かった(ただの目立ちたがり屋)のです。「この世界で働きたい。」思い込みの激しい私は教員を辞める事を決めました。意外だったのは、自分の都合で吹奏楽部を作り、自分の都合で教員を辞める事を決めた私を一番理解したのは吹奏楽部の生徒達でした。ここで始めて夢らしい物が私の中に生まれて来ました。「こいつら(生徒達)の自慢の先生になりたい。」と言うのがその夢です。生徒達が「僕(私)あの先生に習ったんだよ。」と人に自慢出来るような事をしたいと考える様になったのです。残念ながらこれはまだ実現出来ていませんが・・・。

 教員を辞めてもすぐにはプロにはなれません。それなりの技術と音楽性が必要です。もう一度勉強しなおす場所として私はアメリカを選びました。沢山の国の人や文化が集まり沢山の音楽が生み出されているアメリカを自分の目で見たかったのです。私はアメリカ留学の準備の為に、まず語学留学する事にします。そこで、また沢山の人に教えられ、助けられる事になります。これは(独立編)でお話しましょう。

私は天才?(学生編) [コラム]

 今回の話には色々なジャンルの多くの人やバンド等の名前が出て来ますが、長くなってしまうので、あ えて説明していません。分らない場合は「あ~、そんな人がいるんだな~。」位で流して下さい。ご存知の方が(もし宜しければ)掲示板にででも説明していた だけると助かります。

 良く「運も才能の内」と言う言葉を耳にします。もしそれが本当だとしたら私は天才かもしれません。 いつも私の周りには私を良い方向に導いてくれる人、良いアドバイスをしてくれる人、助けてくれる人がいるのです。

 ジャズ好きの兄貴の影響で中学生の頃からジャズを聴きだし、カウント・ベイシー・ビッグ・バンド、 フィル・ウッズに見せられ「高校に行ったら吹奏楽でサックスを吹こう。」と決めていました。この兄がいたからこそ私は音楽を始めた訳です。

 そして高校です。憧れの吹奏楽部に入り、サックスを希望しました。しかし、サックス・パートは定員 オーバーと言う事でクラリネットを勧められました。正確に言うと、口の上手い先輩にサックスとクラリネット両方のマウスピースとリードを見せられ「どちら も似てるでしょ。」「楽器も殆ど同じだからクラリネットにしちゃいましょうよ。」と言われ楽器の事等良く分らない私は簡単にOKしてしまいました。私の希 望は通りませんでしたが、この先輩のお陰で私は音楽を専門的に勉強する事になるのです。

 この年の新入生でクラリネットを希望したのは私を含めてたったの二人で、クラリネットを希望したも う一人の生徒は中学生の頃から先生に付いて音大を目指している生徒(Hさん)でした。初めの内、新入生は一緒に練習する事になります。何も分らない私はH さんの言う通りに練習するしかありません。気が付いてみるといつの間にか専門的な奏法を見に付けていました。

 初めから専門的な吹き方を教えてもらった私は、独学で始めた他の学校の生徒と講習会等で一緒に練習 する度に「俺はこれくらいの事はもう知っている(できる)。」とちょっと(大分?)自惚れ始めていました。学校ではHさんにかなわない分、他では生意気に なっていました。そんな時、高校の先輩で当時はプロで活躍していたトロンボーンのY先輩が遊びにきたのです。Y先輩は練習している私をじっと見ていまし た。私は「俺に感心を持っているな。」「きっと『お前上手いな。』と誉めてくれるに違い無い。」と勝手に思い込んでいました。そしてしばらくするとY先輩 は「それ、リードが悪いの?」「あ~、腕が悪いんだ。」と言ってその場を立ち去ったのです。自惚れていた自分が恥ずかしいやら、悔しいやら・・・。それか ら「今度来た時は絶対に見返してやる。」と練習嫌いだった私が練習を始めたのです。この先輩が今でもお世話になっている吉岡バンドのリーダー吉岡さんで す。吉岡さんはいつも私に欠けている部分を指摘してくれました。それを克服しようと悪戦苦闘して行く中で多くの事を勉強する事ができた訳です。

 そんな時、我が部でコンサートを開く事になりました。ここで多くの人と出会う事になります。応援に 駆け付けたOBの中にブルー・コーツのメンバーと仲良くしている人がいました。西川先輩です。それから西川先輩は度々私をブルー・コーツのライブに誘って くれるようになりました。そして、メンバーと一緒に食事に行くようになり、沢山の話をするようになりました。メンバーは皆私に「これからのミュージシャン は専門教育を受けなければダメだ。」「ジャズが好きだとしても君は音大に行きなさい。」と言うのです。そこへ、クラリネットのHさんがバンドのトレーナー としてHさんの先生、田中先生を招いたのです。その日の内に私は田中先生に習う事にし、レッスンに通い初めました。田中先生からはクラリネットの技術だけ で無く、クラシック音楽の素晴らしさも教えてもらいました。これが切っ掛けとなりクラシック音楽にのめり込んで行きます。そしてここで、あのクラリネット 界のプリンス(?)赤坂達三君と出会出会う事にもなるのです。

 彼も田中先生の生徒で、大きな夢(当時私にはそれがとても生意気に見えたのですが)を持っていまし た。ただ「楽器が上手くなりたい。」としか考えていなかった私は自分の(音楽における)夢等考えた事もありませんでした。赤坂君と会ってから「俺は何の為 にクラリネットを勉強しているんだろう。」と考えるようになりました。答えが見つからないまま受験の日は近付いてきます。そこで気分転換を兼ねて自分が受 験しようとしている音大ではなかった国立音大の講習会を受けてみる事にしたのです。そこで、私の最も尊敬する小笠原先生と出会うのです。

 始めて私の演奏を聴いた小笠原先生は「君は欠点ばかりの男だね~。」「でも誰も持っていない何かを 持っている。」「それをのばして見ませんか?」と言ったのです。今思えば誉める所が何も無かったのでしょうが、このように言われれば悪い気はしません。そ れが切っ掛けとなり、お世話になった田中先生に無理を言って志望校を国立音大に変更し、小笠原先生のレッスンも受ける事にしたのです。

 小笠原先生からは本当に多くの事を学びました。今でも大変お世話になっています。己を知らない私が 無茶をしても決して怒る事はありませんでした。いつもそれを笑って済ませてしまうのです。初めの内は一見頼り無く感じた事もありましたが、私が何かを仕出 かした後のレッスンでは、私にその件を考えさせる様なレッスンをしてくれるのです。気付かない事があれば気付くようにヒントをくれるのです。私が行き詰 まって悩んでいる時も決して「ああしなさい。」「こうしなさい。」とは言いません。私が解決方法を見つける迄根気よくヒントを出し続けてくれるのです。

 大学に無事合格してからのことです。無理な練習の為私は腱鞘炎になってしまいました。楽器どころか 字も書けない、箸も持てないと言う状態ですから、楽天家の私でもさすがに悩みました。そんなある日、レッスンに行くなり「藤原君、○○のお店でホットドッ グを買って来てくれないかな~。」「小笠原セットと言えば分るはずだから。」「君も好きな物を買って来なさい。」「一緒に食べましょう。」と言うのです。 「きっと何か考えがあるんだろうな~。」とは思ったものの、ちょっとムッとしたのを覚えています。その日は雑談だけでレッスンは無し、ヒントらしい言葉も ありませんでした。「もしかすると、余りに出来が悪いので、とうとう見放されたかな~?」等と不安になり、その日は練習に身が入りません。諦めて遊びに 行ってしまいました。それから、しばらくは殆ど練習もせず次のレッスンの日を迎えました。殆ど練習していないのですから(怒られないとは思っていても)内 心ヒヤヒヤものです。レッスン室に入ると前回と同じ事を頼まれ、前回と同じでレッスンは無く、ただの雑談で終わってしまいました。ホッとしたものの「本当 に見放されたかもしれない。」と不安になりました。ただ違ったのは帰り際に「今度はこの曲をレッスンしましょう。」とメモを渡されたのです。曲は I.Pleyelのコンチェルトでした。楽譜を見てみると、この曲は今迄私が練習していた物に比べると単調で面白みに欠けるものでした。しかし、私には単 調にしか見えなかったこの曲も、小笠原先生の言う通りに吹いてみると面白くなってくるのです。

 口には出しませんでしたが、小笠原先生は私に「君はもう以前の様には吹けないんだよ。」「以前の様 に難しい曲を難しそうに吹く事ばかり考えず、音楽の持っている素晴らしさを、君の持っている技術で表現する事を考えた方が良いのではないですか。」と言い たかったのではないでしょうか。正直言うと小笠原先生に教えてもらった事の多くが学生時代には理解できませんでした。それらが何となく分かって来たのは社 会人になってからの事です。その辺りの話は続編(社会人編)でお話しましょう。

初吹きは焦らずに! [コラム]

明けましておめでとうございます! 21世紀の始まりです。

 多くの方が、年が明けてする初○○と言う物には気を使うのではないでしょうか。初吹きや初レッスンにもついつい気合いが入り過ぎてしまう事も多くありませんか?しかし、初吹きは多くの場合悪い癖を治すのにとても良いチャンスなのです。焦って上手く吹こうとしたり、いきなり難しい練習をしたり、長い時間練習したりすると折角のチャンスを無駄にしてしまいます。こんな事をすると折角の悪い癖を治す良いチャンスに、わざわざ悪い癖を付けてしまいます。

 年末年始は多くの方が何かと忙しく、サックス等吹いている暇はないのではないでしょうか?また、この時期は寒い日も多く体の動きも鈍くなっているはずです。少しでも時間があれば急いで練習したいでしょうが、前にも書いた通り、楽器を演奏すると言う事はスポーツと同じです。十分なウォーム・アップをしてから練習しないと、体を痛めてしまいます。このような時期はあまり無理して練習しない方が良いと思います。

 年明けに今まで練習出来なかった分を取り戻そうと、慌てて練習をするのも、先程と同様の理由で考えものです。練習しなければ当然筋肉は落ちてきますし、勘も鈍ってきます。「折角練習してきた事が無駄になるのではないか。」と心配になるでしょうが、大丈夫です。一度身に付けた技術や勘はすぐに取り戻せます。逆に、急いで技術や勘を取り戻そうとして、悪い癖を付けてしまい、結果的に下手になってしまうことの方が多いのではないでしょうか。そんなとき「しばらく練習していなかったから下手になったんだ。」と思い込んで更に練習すると「悪い練習のアリ地獄」にはまってしまいます。

 筋肉が落ちていると言う事は、当然、悪い癖を起こす筋肉も落ちています。また、勘が鈍っていると言う事は悪い癖も忘れています。しかし、調子が良かった時のイメージは頭の中に残っているはずです。しばらく演習していなかった時は、そのイメージを早く取り戻したくて焦るのですが、その時に余計な悪い癖も追加してしまうのです。ですから、久し振りに吹く時は一つ々々自分のフォームをチェックしながら、焦らずゆっくりとトレーニングしていくのです。長く(何年も)楽器を吹きたいのであれば、寒い時期や暑い時期の無理な練習は避けましょう。

 1年の初めに良いスタートを切りたいと言う気持ちを空回りさせない為にも、初吹きから姑くはフォームのチェックや楽器を吹く為の基礎体力作りに専念しては如何でしょうか?ここでしっかりとしたフォームと基礎体力を身に付けておく事で、それからの練習やレッスンも効率良くなるはずです。レッスンが間に合わない時は諦めて(?)叱られましょう。でも、トレーニング法を知っている先生はこの時期あまり無理は言わないと思いますので、叱られる事は少ない(音大受験生は別ですが・・・)と思います。

 と言う事で、初吹きは焦らず、行ってみて下さい。「えっ?」「1月も終わりになってから書くなって?」もう初吹きで無理をしてしまった方、申し訳ありません。

2×4の音楽創り [コラム]

 私はおまり詳しくは無いのですが、建築方法に2×4(ツー・バイ・フォー)と言うのがあるそうです。工場で壁、床、屋根等を作り、それを現場で組み立てる建築方法です。作業を見ていると箱を組み立てている様に見えます。これの利点は(各パーツを作っておけば)現場での作業が早いと言う事です。この方法を音楽創りに利用してしまいましょう。

 時々しか練習出来ない人の場合、1曲を仕上げるのは大変な事です。このような人の場合、1曲丸ごと全部を練習するのには時間が足りません。それで、初めから少しずつ練習して行く事になります。そして最後迄やっと吹ける様になったと思ったら、初めの部分を忘れてしまっている。このような事が以外と多い物です。短い曲ならば、この方法でも何とか仕上げる事が出来ますが、長い曲をこの方法で仕上げるのはちょっと無理があります。そこで2×4の音楽創りの登場です。

 まずは、パーツを分けをしましょう。音楽的に分析すると殆どの曲が幾つかのブロック(フレーズ)に分ける事ができます。そして、このブロックを更に分析すると殆ど同じブロックが幾つかあるはずです。似たようなフレーズで出来ているブロックは同じブロックとして一つにまとめてしまいます。これで、練習する箇所は随分と少なくなるはずです。

 例えば、2部形式と言う形式で出来ている曲があります。これは、a、a'、b、a''、と言う4つのフレーズで出来ている曲の事を言います。aとbは全く違うフレーズである事を表していますが、aとa'、aとa''は殆ど同じフレーズである事を表しています。似ているフレーズを一つにまとめると、この曲はaとb、2つの部分で出来ている事になります。そこで、2部形式と呼ぶ訳です。良く解らない人は、先生や詳しい人に助けてもらいましょう。

 次に、各パーツを短い曲を練習するように練習して行きます。曲全体を練習するのではなく、各フレーズをそれぞれ練習するのです。つまり、壁を作り、床を作り、屋根を作る訳です。これはパーツを作っているだけですので、いつまでたっても家にはなりません。しかも、初めに作ったパーツは時間が経てば傷みます。暇を見て修復して下さい。そして、傷みが少ない時はそれぞれのパーツを更に仕上げて行きます。

 これと同様に、各フレーズを均等に練習しても、時間差がある訳ですから、前に練習した部分は忘れてしまうかもしれません。そうしたらもう一度そのフレーズを練習するのです。一度吹けた所は前よりも短い時間で吹ける様になるはずです。これを何度も繰り替えしている間に、どのフレーズもすぐに思い出せる様になって来るはずです。そうなったら、各パーツの完成です。

 各パーツが出来たら後は一気に組み立ててしまいましょう。つまり、各フレーズをつなげて曲にしてしまうのです。これには2~3日続けて練習出来る日が必要になります。中々このような日が作れない場合は、パーツ創りに専念するのです。そして、2~3日続けて練習出来る日が来るのを待ちましょう。2~3日でいきなり曲を仕上げるのは難しいですが、各パーツを作ってあればそれ程難しい作業ではありません。

 まずは、工場で書くパーツを作り、晴れた日に一気に組み立てて家を作るように、あまり練習時間が取れない時は(初めから曲を練習したり、曲を通す練習をするのでは無く)各フレーズを仕上げるの練習をし、続けて練習出来る日ができたら、一気に曲に仕上げてしまうのです。前章触れた「年間スケジュール」をたてる時に、パーツ作りの期間、曲作りの期間等も考えてみても良いかもしれません。

年間スケジュールを作ろう [コラム]

 趣味でサックスを楽しんでる方で、先生に付いてレッスンを受けている方の多くが、毎週(月に3~4回)程度のレッスンを受けていると思います。このレッスン回数は音大生と比べても少ない物ではありませんし、私も十分な回数だと思います。しかし、これで十分だと感じている方は少ないのではないでしょうか。

 音大生の場合、毎日数時間も練習ができますし、先輩達も先生になってくれます。また、オーケストラやアンサンブルの時間にも多くの事を学べますし、ピアノや歌のレッスン、音楽理論の授業等々、毎日が音楽漬けです。このような環境であれば週�回程度のレッスンが十分生かされるのです。そして何より、いつも周りに専門科が居て、必要な時にアドバイスをしてもらえると言う環境がとても大きいと思います。

 それに比べて趣味で音楽を勉強する人の場合はどうでしょう。社会人の場合等はレッスンの時にしか楽器を吹く事が出来ない人も多いのではないでしょうか。学生や何かのバンドに所属して毎日吹いている人でも、曲を仕上げるのに忙しくて基礎練習に時間を割く事が出来ない場合が殆どだと思います。また、基礎練習の時間を持つ事が出来ても、困った時にアドバイスをしてくれる人が近くに居なくて、結局は何を練習して良いのか解らなかったり、間違ったまま練習して無駄な時間を過ごしてしまったと言う方も多いでしょう。このような場合は週1回のレッスンでは少ないはずです。また、自分自身で練習を組める様になる為には、ある程度の音楽的な知識や楽器の知識が必要になります。

 私は今迄、このような環境の中で少しでも効率良く練習する方法や、効率が良い環境作りの話をしてきたつもりです。しかし、これは対処療法にしか過ぎません。更に、効率を上げる為には今のレッスンのあり方を根本から変える必要があります。毎月定期的に受けるレッスンは自分の技術を維持する為と割り切ってしまい。年に何回か音楽漬けになれる期間を作り、そこで上達する様にするのです。他にも趣味を持っていてそちらの方が忙しくなる月や、仕事が忙しくて趣味所ではない月がある方は(忙しい中無理してレッスンに通ったところで殆ど意味がないので)その期間サックスそのものを休んでしまうのです。

 例えば、年末年始は忙しいからサックスはお休み。2月は週2回くらいレッスンに通い基礎から徹底的に練習し、可能な限り毎日練習する。3月~6月は月2~3回レッスンに通って技術を維持。7月はレッスンに通ったり、ライブに行ったり、バンドの練習をしたりとサックス漬け。8月はサックスを休んで遊び捲る。9月10月はゴルフ三昧、サックスはお休み。11月は気分転換にピアノを習う等々・・・。自分に合わせて年間スケジュールを作ってしまうのです。

 中には「一度休んでしまうと下手になって、元に戻す迄が大変じゃないの?」と心配な方もいるでしょう。心配は要りません。一度きちんと身に付けた技術はすぐに取り戻せます。何となくダラダラとレッスンを続け、何も身に付かないよりは、ある時期集中して練習し、きちんと技術を身に付けた方が結果的には上達が早いのです。そして、音楽は総合芸術です。スポーツは勿論、絵画や演劇等々、ありとあらゆる物の要素が取り入れられています。サックス以外の事にも興味を持ち、積極的に取り込む事は、結果的にサックスの上達に繋がるのです。

 また、楽器を演奏すると言う事はスポーツに似ています。殆どのスポーツにシーズン・オフがあると思います。そのオフに体を休め、新しい知識や技術の拾得を行うのです。休む事で下手になるのではなく、休みを上手に利用して更に技術を向上させるのです。海外の音楽家もシーズン・オフを上手に使っています。その結果、70歳や80歳でも現役で演奏活動ができる訳ですし、歳を取るにつれて円熟味も増して行くのです。「オフなんて言ったら、俺なんか1年中オフだ!」と言う方もいるでしょう。その様な方は1年に1ヶ月くらいはシーズンを作ってみて下さい。今よりは、充実したサックス・ライフが過ごせると思います。

 この場合の一番の問題は、このようなレッスンに対応した音楽教室が(私が知る限り)無いと言う事です。私は今の音楽教室と言う形態は(多くの場合)現状には合っていないような気がしています。音楽を趣味として楽しんでいる人が集まり、音楽談義が出来て、バンドやアンサンブルのメンバーを探す事が出来、必要ならばプロのアドバイスやレッスンが受けられたり、ライブやコンサートの応援や協力をしてもらえる様な場所、つまり、そこに行けば音楽漬けになれる環境が必要なのではないでしょうか?私は趣味で楽しむ場合も、専門的に勉強する場合もレッスン以外の部分がとても大切だと思っています。そこが充実して始めてレッスンに意味が出てくると考えています。

 一度このような場所を作ろうかと考えた事もあるのですが、音楽家はお金とは縁が無い人種ですので・・・。難しいですね!小さな抵抗がこのホーム・ページです。どなたか「作ってみよう。」と言う方いましたら協力しますよ!
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