努力なんかいらない! [コラム]

 話が混乱するといけないので、まず努力を二つに分けて考えてみましょう。

 良い言葉が見つからなくて上手く言えないのですが、何とか理解して下さい。まず一つは、自分が自分自身に対して感じるもの、もう一つは他人が自分自身に対して感じるものです。

 例えば、私が「最近俺は頑張ってるな。」と感じたとします。これは私が私自身に対して感じている努力です。それに対して、ある人が私に対して「お前最近頑張ってるな。」と感じたとします。これは他人が私に対して感じている努力です。私が必要ないと思うのは前者の方、自分が自分自身に感じている努力です。

 では、「自分は努力している。」と感じる時はどういうときでしょうか?勿論、ケース・バイ・ケースで色々な理由が考えられます。しかし、楽器を勉強している人の場合、ある一つのケースが多いような気がします。その一つのケースとは「プレッシャーをかけられた時。」です。

 一番多いのが「これを練習して行かないと叱られる。」というケースです。次に多いのが「これが吹けないと恥をかく。」というケースでしょう。これは発表会やコンクール等の本番を控えた時に多いと思います。これらはある意味では追い詰められた状態です。私はこの状態が必要ないと思うのです。

 日本では習い事をすると「上達する為には厳しさが必要だ。」と言うのが当たり前になっているようです。つまり「努力無しには上達は無い。」と考えられています。その結果「楽しみたい。」と思っている人たちは気持ちのどこかで上達する事を諦めてしまっています。しかし、本当にそうでしょうか?楽しみながら上達は出来ないのでしょうか?

 皆さんは趣味や遊び没頭していたら、アッという間に時間が経っていたとか、気がついたら朝だったと言う経験はありませんか?また、それとは反対に嫌な仕事や勉強をさせられて、時間が経つのが遅く感じたり、時間の割には仕事や勉強がはかどらなかった経験はありませんか?何かでプレッシャーをかけられ、追い詰められた状態でする練習は後者の方に近いものです。嫌な練習は時間が経つのが遅く感じ、練習時間の割には身に付かないものなのです。また、このような精神状態でする練習は体に余計な力が入り、悪い癖が付く事も少なくありません。このような場合は最悪です。練習すればする程下手になっていくのですから、、、。

 「自分はこんなに努力しているのに、全然上手くならない。」「きっと自分には才能がないんだ。」と感じている人の多くがこのような間違いをおかしているのです。また、このような人に限って練習量を「毎日3時間練習している。」とか「この曲は合計100時間ぐらい練習している」とか時間で表現しようとします。

 少なくとも音楽の場合、練習量は時間では表せません。管楽器の場合は、一度に音色、音程、フィンガリング、ブレス、タンギング、という技術的な事を考えながら音楽的な表現もしなければならないので集中力が大切になってくるのです。これは、練習の時から注意していなければ急にはできないものです。嫌々している練習でこの集中力を保つのはまず無理でしょう。また、集中力を欠いた練習は何時間しても、本番等の緊張した状態では約に立ちません。本番に弱い人の多くがこのような集中力を欠いた練習をしているのです。

 せっかく練習するのでしたら練習しただけ上達したいでしょうし、それを本番で生かしたいと考えるでしょう。それにはどうしたら良いのでしょうか?私は次のように考えています。

 まず、しっかりとした目的を持つ事です。「この曲が吹けるようになりたい。」「この人のような音が出したい。」とか「女の子に(男の子に)持てる演奏がしたい。」とか何でも良いのです。しっかりした目的を持つ事です。そして、あまり気乗りがしない時は無理な練習はしないことです。そして何より大切なのは自分にとって楽しい練習の仕方を早く見つける事です。その方法を見つける手助けがこの「サックスなんか難しくない!」という文章で出来ればと私は思っています。

 また、プレッシャーがかかる時にはどうしたら良いのでしょうか?私は少し考え方を変えれば良いと思っています。習っている人の場合、見栄を捨て「自分は下手だから習っているんだ。」と言う事を自分自身に言い聞かせ、それを態度で先生の前で素直に出す事です。そうすれば練習が間に合わなくて叱られても「あぁ、下手だったから仕方ないな。」と納得できるはずです。しかし、この時に注意して下さい。ただ叱るだけで、皆さんが上達するためのアドバイスをしてくれない先生の場合は、先生に問題があるかもしれません。

 ちょっと話がそれてしまいますが、趣味で楽器を習っている人の場合、仕事や勉強で忙しくて練習できない場合が多々あります。それを叱るだけでは先生とは呼べないと思います。練習時間が取れなかった場合「忙しかったらこのような練習をしてきて下さい。」とアドバイスをしてくれるのが先生であり、練習して来たのに上手く吹けなかった場合「ここの練習の仕方が悪かったのですよ。」とか「今度はこの練習をして来て下さい。」と次のアドバイスをくれるのが先生だと私は思います。

 話を戻しましょう。発表会やコンクール等の本番の時は「上手く出来なかったらどうしよう。」とか、「良い演奏をしてやろう。」と考えるのではなく、「この演奏でどこまで、自分の力が出せるか試してみよう。」くらいの気持ちで良いと思います。もし、ミスったら自分の力が発揮できなかったのです。勉強中なのですから恥でも何でもありません。また、練習して次の本番で自分の力を試せば良いのです。

 長々と書きましたが、私が言いたい事は、「怒られたくない。」とか「恥をかきたくない。」と言うマイナスの気持ちで練習した時と「誉められたい。」とか「自分が気持ちよく吹きたい。」と言うプラスの気持ちで練習した時とではどちらが効果的かと言う事なのです。また、自分が今どちらの状態で練習しているか判断するために努力を2つに分けて考えてみたのです。自分が努力していると思っている時の多くがマイナスの気持ちの場合が多く、自分にはその気がないのに他人は努力していると思っている場合はプラスの気持ちの場合が多いと思うのです。

 ですから、「厳しさとか努力とか考えずに、自分の目的に向かう事を楽しんでいる時が一番良い時なのではないですか?」「上達するためには努力なんて意識しない方がよいのではないですか?」つまり「努力なんかいらない。」ということです。

上手な人とは? [コラム]

 Saxが上手な人とはどのような人でしょうか。「指が速く動く人。」「高い音が出せる人。」「タンギングが速い人。」の様に技術的な事で判断する場合もあれば、「上級のテキストを吹いている。」「難しい曲がスラスラ吹ける。」の様に吹ける曲で判断する場合もあるでしょう。中には「○○さんは5番のリードで音が出せる。」とか「○○さんは5時間吹いても疲れない。」の様に音楽とは違うことで判断している場合も少なく有りません。

 私は、「思い通りにSaxを操れる人。」が本当にSaxが上手な人だと思います。

 例えば、指がどんなに速く動いてもタンギングがその速さに追い付かなければ実際に曲で使うことはできませんし、逆の場合にも同様のことが言えます。また、いくら高い音が出せても、いくらタンギングが速くてもそれだけで作られた曲は(練習曲を除き)無いと思います。たとえ、あったとしても聴いている方が耐えられないでしょう。技術面では基本がしっかり出来て、それぞれの技術のバランスが取れている事が大切です。ですから、タンギングの練習をする場合はロング・トーンと一緒に、高い音を練習する場合は低い音と一緒に等々、技術練習をする場合は色々と組み合わせる必要があるのです。

 次に、難しい曲が吹ける人が本当に上手な人でしょうか?これは他人を驚かす(?)には最も効果的ですが、それだけでは上手な人とは言えません。その難しい曲をコントロール出来て始めて上手な人と言えるのです。

 例えば、ものすごく速いボールを投げられる人がいたとします。速いボールは人を驚かすのには効果的でしょう。しかし、そのボールがコントロール出来なければ野球の試合にピッチャーとして出ることは出来ません。つまり、役に立たないのです。同様に、いくら難しい曲が吹けてもそれをコントロール出来なければ人前で演奏することは難しいのです。「あいつ、練習の時は上手なんだけどな~。」とか「あいつ、何吹いても同じ感じなんだよな~。」と言う人の多くがこのタイプです。

 自分が得意なテンポ、音色、音域で良ければ練習さえすれば誰でも難しい曲が吹けるのです。しかし、これでは伴奏や会場等の条件が変わった場合それに対応できませんし、選曲や演奏の仕方がいつも同じになってしまいます。その状況に合わせて演奏の仕方を変えられる人が上手な人であり、それが出来る範囲がその人の実力と言えるのです。

 それから、体力はあった方が良いのは当たり前ですが、それと楽器の上手下手とは全く関係がありません。「口から血が出るまで練習した。」とか「倒れるまで練習した。」などと言うのも同様です。それどころか口にはリードをコントロールする為に必要な筋肉や神経があるのです。もし、それらを傷めてしまったら何にもなりません。また、「口を傷めない為に」と言う理由で歯に紙などを巻いている人がいますが、それは対処療法にしか過ぎません。つまり、怪我をした時に絆創膏を貼るのと同じです。それは本番前に不注意で口を傷めてしまった時など緊急時に使う物です。紙を巻かなければ口を傷めてしまうのであれば、吹き方を改めるべきです。もう一つの例の場合ですが、倒れる直前は実際には練習になっていないはずです。それならば、一度休んで回復したところで練習した方が絶対に効果的です。勿論プロになろうと言うのであれば話は変わってきますが、、、、。

 このような理由で「上手な人とはSaxを思い通りに操れる人。」と考えていた方が間違いが少なくなると思うのです。そして、ここで大切なのは「自分のSaxでこんな風に吹きたい。」「こんな音を出したい。」と言う気持ち(思い)です。

スポーツを真似よう! [コラム]

 私が言うまでもないことですが音楽は芸術です。しかし、楽器を演奏する為には様々な運動能力が必要になります。持久力、瞬発力は勿論、演奏中に起こるあらゆることに対応する為の判断力、そして意外でしょうが、動体視力まで必要になるのです。つまり、スポーツをするのと同等の運動能力が必要になるのです。

 しかし、この事に対する認識は日本ではまだ少ないような気がします。その証拠に「家の子は運動はダメなので、楽器を習わせようと思うのですが、いかがでしょうか?」と言う相談を良く受けます。このような質問をするのは「楽器を演奏するのに運動能力は必要無い。」と考えているからです。また、楽器の練習というと「ただひたすら楽器を吹き続ける。」というのもその一例でしょう。これをスポーツに置き換えると「朝から晩まで試合をしている。」と言うのに近いと思います。スポーツでは一日の練習の中でウォーム・アップやクール・ダウンを行うのは当たり前ですし、体力作りやフォーム作りに多くの時間を裂くのも当たり前です。しかし、楽器の練習の場合はどうでしょう。これらをあまり重要には考えていないように思います。

 また、体力作りに関して無知な指導者が多いと言う事も否定できないと思います。腹式呼吸の練習と称して腹筋のトレーニングをすると言うものや、口の筋肉を鍛えると言う理由で厚いリードを付けて練習する等と言うものもその一例でしょう。

 まず、腹式呼吸について考えてみましょう。腹式呼吸と言う言葉に「腹」と言う字がある為なのでしょうが、腹式呼吸にしろ胸式呼吸にしろ呼吸をするのは肺です。腹筋を鍛えたところで呼吸を鍛えることはできません。しかし、勘違いをしないで下さい。私は「腹筋運動が無駄だ。」と言っている訳ではありません。腹筋は勿論、体を支える筋肉を鍛えることは楽器を演奏する上でとても大切なことです。是非行って下さい。ただ、「腹式呼吸を鍛えるのであれば腹筋を鍛えても意味がありません。」「きちんとしたブレス・トレーニングをして下さい。」と言っているのです。ブレス・トレーニングについてもいずれOne Point Lessonで取り上げるつもりです。

 次に、厚いリードで吹くと言うことはボーリングで言えば「重いボールで練習すれば腕の力が付いて上手くなる。」野球で言えば「鉄のボールでキャッチボールをすれば、肩の筋肉が付いて球が速くなる。」と言うのに近い発想です。皆さんはこれで本当に上手くなると思いますか?筋肉が付く前に関節を痛め、上手くなる前にフォームが滅茶苦茶になってしまうのが殆どだと思います。つまり、これで上手くなるのは一部の強靱な体を持った人だけです。普通は重いボールを使う為にはその為の、速いボールを投げる為にはその為の練習を別にするはずです。

 また、ちょっと吹いてみて上手く音が出なかったり、指が動かなかったりしただけで「自分には才能がない。」と諦めてしまうのも同じ理由からだと思います。スポーツだったら、ちょっとやってみてだめだったら「最近運動不足だな。」「もう少し体を鍛えよう。」と考えるのではないでしょうか。楽器も同じに考えれば良いのです。「中々良い音が出ない。」と愚痴る前に良い音を出すために必要なトレーニングをするのです。「中々指が動くようにならない。」と諦める前に指を動かすトレーニングをするのです。

 楽器を始めた人が目標にするのはCDで聴いた演奏であり、先生である場合が殆どでしょう。残念ながらそれはすぐには出来ません。それなりの練習が必要になります。これを私の好きな野球に例えると、野球を始めたばかりで「野茂選手のようなボールが投げられない。」「私には素質がないんだ。」と言っているようなものです。目標は高い方が良いと思います。しかし、目標が高ければ高い程実現には練習が必要になります。また、野茂選手のようなボールが投げられなければ野球が出来ないかと言うとそんなことはありません。野球を楽しみながら個人的には最高の目標(例えば野茂選手)を目指す事は充分可能です。音楽も同じように考えれば良いのではないでしょうか。自分の技術が目標に近付いてから音楽を楽しむのではなく、楽しみながら自分の技術を向上させて行けば良いのです。自分が吹いてみたい曲は「自分にはまだ早いかな?」等と余計な事を考えずに、吹いて行けば良いのです。但し、肉体的にも精神的にも無理はしないことが絶対条件です。

 一つ一つ例を挙げているときりがないのでこれくらいにしますが、楽器で行き詰まった時、そのときの自分の状態をスポーツに置き換えて見てはいかがでしょうか。きっと解決策が見つかると思います。また、楽器演奏をスポーツと同じに考えると楽器を吹く以外にもトレーニングしなければならないことが沢山ある事に気が付くはずです。趣味で楽器を楽しむ人の場合楽器を吹く場所と時間を作るのは容易ではありません。しかし、楽器が吹けない時の時間を上手に使う事ができれば、楽器を吹く時間が短くても早く上手になる事ができるのです。スポーツの良いところをもっと真似しましょう!

50の手習い [コラム]

 最近、社会人になってからサックスを始める人が増えています。その中には「仕事に余裕が出来たから。」「子育てが一段落したから。」と言う理由で楽器を始める50才前後の方も沢山います。

 このような方々が一様に言うのは「この年から始めたのでは上手くはなりませんよね。」と言うような意味の事です。確かに、成長期の子供に比べれば運動能力的にも、吸収力に関しても劣っているでしょうが、趣味で楽器を楽しむには何一つ問題はありません。外国の演奏家に聞くと「勿論個人差はあるけど、70才位までは上手くなるはずだよ!」と答えます。友人の体育の先生や医者等に聞いても同様の答えが返って来ます。そう考えれば50才なんて若いものです。

 私が留学していたボストン大学には50才の音大生がいました。彼は子供の頃から音楽を勉強したかったけれども、経済的に余裕がなく音楽を勉強することは出来なかったそうです。そこで彼は会社を作りそれを大きくし、音大に行くだけのお金を作り、ゆとりが出来たところで勉強を始め、やっと音大に入ったのが50才だったと言う事です。彼に会ったことはあるのですが、50才になって音大生になった理由はアメリカの友人から聞きました。

 当時、私はプロとして演奏することを諦めていました。国立音楽大学に入ってすぐ、ひどい腱鞘炎になり、それがきっかけで軽い右半身麻痺になり、大学時代に充分な練習ができなかったのです。何年かは楽器どころか日常生活にも支障がありました。とりあえず練習が出来る様になったのが26才の頃です。26才というのは、当時の私の考えではプロになるには遅すぎる年令でした。そして、私がアメリカに行ったのは27才です。しかし、アメリカの友人は「お前は27才だろ?」「しかも、一度は専門の勉強をしたんだろ?」「何で諦めなければならないんだ?」「やる気があるならやってみろ!」と励ましてくれました。そして体に障害を持ちながらもプロとして演奏しているプレイヤーの話も私を勇気付けてくれました。皆さん良くご存知のD.サンボーンもその一人です。

 しかし、練習しなおすと言ってもやはり若い頃の様には行きませんし、健康の事を気にしないで練習していた頃とも勝手が違います。そこで、トレーニングの為の専門の知識が必要になってくるのです。私の場合独学で勉強しましたが、探してみると日本語に訳されたものでも沢山の専門書が出ています。外国語のものも含めると相当の数になります。その知識から言っても「50才からでも充分上手になれる。」と確信しています。

 ところが、実際には伸び悩んでしまう方が少なくありません。色々と理由が考えられますが、一番の原因は考え方にあるような気がします。特に問題なのは、これから新しい事を勉強しようとしているのに、今までの経験でそれらを理解しようとする事です。これは食べた事も見た事も無い料理を、他人の話と写真だけを頼りに作るのに似ています。美味しい料理を作るには、まずそれを食べて味をしっかり覚えていないと作りようがありません。料理の本には材料やその量、調理の仕方や火加減など詳しく載っていますが、その中には「少々」とか「弱火」など好みや状況によってどうにでも解釈出来る様な部分が沢山あります。最終的には勘に頼らざるを得ません。その勘は、実際に食べた時の経験や以前料理をした時の経験によって支えられるのです。経験は他人の話や写真では得る事ができません。これと同様に、教則本に書かれていることは、ある程度経験を積んでからでないと感覚的には理解できないのです。つまり、「教則本に書かれていることを理解してから練習すれば上手くなる。」という考え方には無理があるのです。

 例えばアンブシュア(口の形)を教えたとします。私が生徒さんを見て「ここの筋肉が足りないな。」「まず、ここの筋肉を鍛えよう。」と考え、それを説明し、その為のアンブシュアを指事したとします。すると「いや、それは私が聞いた(読んだ)話とは違う。」と、自分の知識で理解した事だけで練習しようとすることがこれに当たります。また、「いやー、それは無理ですよ。」などと初めから諦めてしまう。このような方が伸び悩んでいる方の中には以外と多いのです。これでは、医者が処方箋を出しても患者が飲まなければ病気が治らないのと同じで、どうしようもありません。勿論、私(先程の例では医者)の指事が全て正しい訳ではありませんが、一つ々々クリアして行かなければ問題は解決して行かないのです。

 また、前回の「スポーツを真似よう!」で書いた中の「楽器を操る為にはある程度の練習と時間が必要だ。」と言うことを理解していない方が多いのも原因の一つでしょう。これは、やはり「楽器を演奏するのに運動能力は必要無い。」と考えている方が多い為でしょうか。吹き方さえ習えばすぐに良い音が出ると思っている方が少なくありません。楽器演奏をスーポツと同じに考えていただければ、もっと上達は早いと思うのですが、、、。

 もう一つは、楽器を演奏する前に、楽譜にこだわる方が多いと言う事です。初めて楽器を習う方は決まって「あの~、楽譜が読めないんですけど大丈夫ですか?」と聞いて来ます。これは、「まず楽譜が読めないと楽器は上手になれない。」と考えているからでしょう。楽譜を読む事と楽器を演奏する事とは全く別の事だと考えて下さい。もともと、人間には楽譜を読みながら楽器を演奏するという運動能力はないのです。初めからそれをしようとすれば挫折するのは当然の事なのです。自動車教習所でも習いましたが、反射神経が良い人でも目で見てから行動するのには0.5秒~0.6秒程かかるそうです。これは、ちょっと速い曲の1拍の時間です。つまり、楽譜を見て演奏すればどんなに反射神経が良い人でも曲によっては1拍遅れるということです。これでは演奏になりません。実際には演奏する曲を覚えるしかないのです。楽譜を読みながら演奏するためには、楽器とは別のトレーニングをする必要があるのです。ですから、演奏を仕事にしている人以外は楽譜を読みながら演奏出来る必要はないのです。「楽譜は自分が今練習している曲を思い出す為。」くらいに使えば良いのです。

 私は、楽譜を見て練習するよりも、音(運指)を口で言ってもらいながら曲を教えてもらい、そのレッスンをまるごと※録音してしまうことをお勧めします。そして、その録音を聞きながら練習するのです。その録音には先生の模範演奏も入れておけば完璧でしょう。楽譜などの理論の勉強はある程度、吹けるようになってから勉強した方が良いと思います。

※録音する場合はカセット・テープの様に機械によって音の高さが変わってしまう物よりもMDやDAT(知っている方に聞いて下さい。)の様に音の高さの変わらない物が良いと思います。ビデオも音の高さが変わらないHi-Fi録音やデジタル録音が出来る物をお勧めします。

マニュアル世代 [コラム]

 前回は、私のちょっと先輩にあたる年代の生徒さんで伸び悩んでいる方について書きましたが、今度は私の随分後輩にあたる年代の生徒さんで伸び悩んでいる方達について書いてみようと思います。

 勿論、伸び悩む理由は一つではありません。残念ながら一番多い理由は「やる気がない。」というものですが、これは仕方がない部分もあります。なぜなら、それらの多くが、元々楽器等習いたくないのに、習い事の一つとして無理矢理親に連れて来られた子供とか、「特技があると内申書に有利だから。」という理由で習いに来た子供達だからです。これは、子供達の責任と言うよりは、社会の(大人の?)責任も多いような気がします。

 今回取り上げたいのは、上手くなりたいのに中々上手くなれない子供達の例です。これで、一番多いのが体力不足の子供達ですが、これは指導する人が体力作りに関して専門の知識を持っていて、1日の練習時間を体に負担をかけない程度に押さえるとか、楽器だけでなくスポーツもさせるとかすれば、特に問題はありません。特に成長期の子供の場合、長い時間練習させることは絶対に避けなければなりません。ですから、短い時間で如何に多くの事を練習させるかが、指導者の腕の見せ所になります。

 次に多いのが、今回特に取り上げたい「マニュアル世代の子供達」です。残念ながら現在の教育方法ではテストや成績等の点数で子供を評価することが最も簡単な方法です。教育の現場の先生方も努力はしているようですが、中々上手く行かない様です。また、私達(私自身も)も気がつかない内にそれに慣れ、点数で子供を評価してしまっているかもしれません。その結果、誉められる為に良い点を取る事に疑問を持たない子供達を生み出しています。最も効率良く良い点数を取る方法はマニュアル通りに素早く答えていく事です。答えを出すことに専念し、いちいち疑問など持たない方が良いのです。これに慣れてしまった子供達の事を私は「マニュアル世代の子供達」と呼んでいます。彼等は、応用とか工夫とか言うことが苦手になってしまっています。そして、すぐに答えが出ないことに関しては興味が持てないのです。勿論、これは一部の子供達です。

 彼等は「何年やれば上手くなるの?」「1日に何時間ぐらい練習すれば良いの?」「どの本を練習すれば上手くなるの?」「楽器はどこのがいいの?」「リードは何日使えるの?」という類いの質問を連発します。これらの答えは状況によって全て答えが違います。

 リードは自然のものを使っています。1枚々々全部違うのです。「ダメになるまで。」としか答えようがありません。ダメになったリードを自分で見分けられるようになるのも、習う目的一つのなのです。楽器は予算、目的、体格等々によって変わってきます。どこのブランド(メーカー)が良いとか、高い物の方が良いとか、そんな単純なものではないのです。ですから、楽器を選ぶ時専門家のアドバイスが必要になるのです。余談ですが、趣味の場合、憧れの楽器を持つと言うのも一つの選択肢です。教則本は技術の向上に使う物です。指が動かない人にはその為の、高い音が出ない人にはその為の、タンギングが苦手な人にはその為の練習をする必要があります。その目的やレベルによって教則本の種類や練習する場所(ページ)は変わってきます。教則本は辞書の様に使う方が効率が良い筈です。初めから順番に練習すれば良いとか、教則本にレベルを付けて「初めはこの本で次はこの本。」のように使う物ではありません。ですから、これも「この教則本が良い!」とは単純に言えないのです。

 偶然その場に居合わせたのですが、あるピアニストがピアノを習いに来た生徒に「料理はしますか?」と突然質問しました。その生徒は「指を痛めるといけないので、していません。」と答えました。すると、そのピアニストは「日常生活が出来ないのなら音楽を辞めなさい。」と言っていました。私もそう思います。「何時間練習すれば良いか?」ではなく「自分の生活の中で何時間練習できるか。」が大切なのです。ですから、練習時間は1人々々変わってきます。そして一番大切なのが、楽器を習う目的なのです。これらが分かって始めて「何年くらいやれば上手くなれるか。」つまり「何年くらいで目的を達成できるか。」の目安が(ある程度)たてられるのです。

 マニュアル世代の子供達は皆一様に、同じ楽器を持ち、同じ時間練習をし、同じレッスンを受け、同じ期間で同じ数の(しかも同じ種類の)教則本をクリアしていこうとします。これには無理があります。無理をすれば上達しないのも当然かもしれません。技術の修得には個人差があるのです。自分のペースで自分に合った練習の仕方をし、自分に合った楽しみ方をすれば良いのです。その為のアドバイザーになることも先生方の仕事だと思います。そして、マニュアル世代の大人達を増やさない為に音楽くらい自由に楽しみましょう!

二重人格になろう! [コラム]

 今度は上達の早い性格について考えてみましょう。私の経験では、気持ちの切り替えの上手い方や、柔軟な考え方のできる方は、比較的上達が早いような気がします。気持ちの切り替えが下手な方は、演奏会等でミスをした場合、それが精神的にマイナスに作用する場合が多く、それを克服するために多くの時間が必要になります。また、一つの考えに固執する方は調子が良い時は良いのですが、一度壁に当ると中々そこから抜けだせない場合が多いのです。しかし、持って生まれた性格や長い時間をかけて作り上げて来た考え方を変えるのは難しいことです。そこで、音楽に関してだけ二重人格になることをお勧めします。

 「二重人格になれ!」等といきなり言われて戸惑う方も多いでしょうが、実際にやってみるとそんなに難しい事ではありません。練習する場合、自分の目的とは反対の練習や、自分が正しいと考えるものとは反対の練習も一緒にするのです。例えば、高い音を練習する場合、一緒に低い音も練習するのです。良い音を出すためには厚いリードが良いと思うならば、薄いリードで良い音を出す練習をするのです。タンギングの練習をするならばロングトーンもセットにするのです。これも、スポーツに置き換えてみると考えやすいでしょう。高くジャンプをする場合、低くしゃがみ、ボールを遠くに投げる場合腕を大きく後ろに引くはずです。つまり、反対の動作がとても大切なのです。沢山息を吐くためには、沢山息を吸わなければなりません。クラシックが好きならジャズを研究するのです。暗譜が苦手な人はいつも譜面を置いて練習しますが、暗譜が苦手な人こそ暗譜で練習すべきです。但し条件があります。無理はしない事です。

 私は大人の生徒さんに「先生はあまのじゃくなんだから。」と良く言われます。これは、生徒さんが人から聞いた事や、本で読んだ事を私に質問した時に、必ず「それでも良いのですが、こんな考え方もありますよ。」と付け足すからでしょう。大人の場合一度考え方が固まってしまうと。それを変えるのはとても大変になります。しかし、音楽の理論やマニュアルは例外だらけなのです。柔軟な考え方が出来ないと必ず壁につきあたってしまいます。これから、もっともっと勉強して行かなければならないときに、一つの考え方に捕われて欲しくないのです。ワン・ポイント・レッスンで薄いリードを勧めているのは薄いリードがベストだと考えているからではなく、「厚いリードが良い。」と信じている為に伸び悩んでいる方が多いからです。私のレッスンで厚いリードを勧める場合も勿論あります。

 それから、殆どの方が(私自身も)演奏会などの本番では良い演奏をしたいと考えるでしょう。その結果練習で上手く出来ないところで「本番だけでも良いから上手く吹いてやる。」みたいな気持ちになりがちです。そして、苦手なところに神経を集中したばかりに、普段間違えないところで間違えたりしてしまうのです。これは、ピンチで調子の良い大打者を打ち取っておきながら、ピンチでも何でもないところで調子が悪い打者にホームランを打たれて負けたピッチャーのようです。大打者に打たれた場合は「力不足だった。」と諦めも付き、「この次は頑張るぞ!」と前向きに気持ちを切り替えやすいのですが、打ち取って当たり前の打者に打たれた場合はショックに悔しさが加わります。これは後を引きます。演奏にミスはつきものだと考えて下さい。ミスをしない演奏を目指していると、中々上達しないばかりか、単調で緊張感がなく、つまらない演奏になりやすいのです。もうそろそろ、お解りですね!「本番ではミスをしてはいけない。」と考える方が多いのでこのような事を言う訳です。

 また、1曲全部集中するのも初めは難しいと思います。そこで、緊張する場所とリラックスする場所を予め決めて練習しておくのです。つまり、2つの性格を使い分ける事も練習するのです。まずは、確実に吹けるところに集中し、苦手なところは運に任せると言うのはいかがでしょうか?これができたら今度は、練習では集中し本番ではリラックスするようにするのです。勿論機会があれば反対の方法も練習してみるのです。こうしていく間に自分に一番合った方法が見つかって行くでしょうし、多くの経験を積む事で柔軟性も身に付くはずです。

 「上手くなったら人前で演奏しよう。」と言う考え方よりも「人前で演奏しながら上手くなろう!」と考える方がメリットが多いと思います。その時に、相反する2つの事を(工夫して)試してみて下さい。繊細な演奏と大胆な演奏。リラックスした演奏と緊張した演奏。スピード感のある演奏とスローな演奏。十分練習した演奏と殆ど初見に近い演奏等々色々考えられるはずです。いつも真面目な人がステージでは仮装等をしてふざけたり、いつも戯けている人がステージでは渋く決めたり、ステージでは別人になっても良いではないですか。そして、自分が人前で一番力を発揮できる方法を見つけられたら、きっと演奏する事が楽しくなるはずです。その為に、二重人格を(計算して)利用しましょう。

寝る子は育つ。 [コラム]

 ここでは、「運動能力的にできなかった事が出来るようになる。」と言う事を「上手くなる。」と考えて話を進める事にします。例えば、1秒間に1回しかタンギングが出来なかったのが4回出来るようになったとか、1秒間に1回もソラと吹けなかったのが、2回ソラソラと吹けるようになったとか言うような事を「上手くなる。」と考える訳です。

 上手くなるには(私が知っている限りでは)練習するしかありません。しかし、練習しても「上手くなった。」と感じる事は少ないと思います。それが多くの人に「私には才能がないんだ。」という挫折感を抱かせる原因の一つにもなっていると思いますが、このような理由でしたら、挫折感を抱く必要は全く有りません。練習してから実際に上手くなるまでには時間差があるのです。

 例えば、フィンガー・トレーニング場合、目的の1つに「指の筋肉を鍛える。」と言うものがあります。根気よく指を動かして筋肉を付けて行く訳ですが、練習している時は筋肉は付かないのです。つまり、練習している間は上手くはなっていないのです。それどころか、練習すればする程筋肉は切れていくそうです。ですから、急にスポーツをした後等、使った筋肉が熱を持ったり、筋肉痛になったりするのです。しかし、筋肉は、再生する時に以前よりも強いものになっていきます。実際はこの時に上手くなるのです。それで、上手くなる迄に(筋肉を再生する為の時間が必要になり)時間差が起こるのです。問題は回復し、再生する迄の時間に個人差(年齢差)が有ると言う事です。

 若い頃は少々無理をしても、一晩寝れば回復した人も、ある程度の年令になると回復する迄に何日か必要になってくるはずです。楽器の練習も同様です。若い頃は毎日練習すればその分上手くなっていた人が、ある程度の年令になると同じように練習しても上手くならないとか、練習すればする程下手になると言う経験をする事があります。これは、回復する前に更に次の練習をした時に起こります。練習で傷めた筋肉は回復し、再生した時に強くなるのです。回復する間もなく次から次へ練習をすれば、筋肉の機能は(切れはしても再生していないのですから)どんどん低下していきます。ひどい時は筋肉そのものを傷めてしましまい、回復出来ない事もあるのです。個人差はあると思いますが、私の経験では25才を過ぎたあたりから、休む事も練習と考えた方が良いと思います。

 次の問題は如何に休むかと言う事です。休んでばかりだと筋肉はどんどん衰えていきます。練習し過ぎれば筋肉を傷めてしまいます。一番良いのは専門家に4~5日サイクルの練習メニューを作ってもらい、そのメニュー通りに練習する事ですが、これは現実問題としては不可能です。一番簡単なのは疲れたら休む、回復したら練習するということです。趣味でSaxを楽しむ方の場合、やっと作った練習時間に休むと言うのは時間がもったいなく感じるかもしれませんが、その方が結果的には効率が良くなります。1日の練習の中でも2~3分で構いませんから、疲れたら休むようにして下さい。その間にストレッチ等するといっそう効果的ですし、自分が練習している曲のCDを聴くのも時間的に丁度良い休憩になります。勿論、短い時間休ませた位では筋肉は回復も再生もしないと思いますが、翌日に疲れが残りにくい(回復が早い)と言う効果があります。

 1日の練習での時間の有効利用と言う事でしたら、体のどの部分をトレーニングするか決めて練習する事です。これならば左手の練習をしている時は、右手を休ませる事ができます。その時にタンギングをしないで練習すれば、舌も休ませる事ができます。指の練習だけでしたら、音を出さなくても良い場合もあります。そして、左手が疲れてきたら左手に余り負担をかけない右手の練習をするのです。両手が疲れてきたら、タンギングの練習、ヴィブラート練習、口も疲れたらブレス・トレーニング等々工夫すれば色々な練習ができます。欠点は曲などの練習には使えないと言う事です。

 毎日練習できる幸せな環境にいる方(私などは毎日楽器を吹いているのに、練習時間は殆ど取れません。月に数時間程度です。)は全く楽器を吹かない日も作るようにして下さい。その日は、スポーツなどをして、全身を鍛えたり、長時間のコンサート、ライブに耐えられる体力を作るのです。楽器演奏の場合どんなに注意しても、片寄った筋肉の使い方、不自然な体の使い方をせざるを得ません。全身をバランスよく鍛えるのは長く楽器を楽しむ為にも必要な事です。そして、ハードな練習をした次の日はゆっくり休み体のメインテナンスに勤める事です。4~5日サイクルで計画的に練習し体を休める事が最も効率が良いトレーニングの仕方だと思います。

 ところで、先程練習しても「上手くなった。」と感じる事は少ないと書きましたが、勿論反対の場合、つまり練習している間に吹けないところが段々吹けるようになり「上手くなっている。」と感じる事もあります。これは練習する事により、右手、左手、タンギング、ブレス等バラバラだった運動能力を上手くコントロール出来るようになっているのです。運動能力の面だけで見るとこの時は余り技術は向上していません。将棋に例えると運動能力を向上させると言う事は持ち駒を増やすということですし、運動能力を上手くコントロールすると言うのは今持っている駒を如何に有効に使うかと言う事になります。これも大切なのですが、今回の話とは目的が違ってしまうので別の機会にお話する事にします。

 計画的に上手に休む事が出来る人(寝る子)は効率良く運動能力を向上させる事が出来、着実に上手くなる(育つ)と言う事です。

レトルト・ミュージック [コラム]

 「レトルト食品」と言うと以前は、安くて便利だけれども、味や高級感そして栄養などはあまり期待できない食品でした。ところが、最近のレトルト食品は一概にはそうとも言えなくなってきています。中には綺麗に盛り付けて食卓に出されたら、料理の得意な人が、材料から調理した物なのか、レトルト食品なのか素人には区別が付かないような物まであります。

 ところで、食卓に出した状態があまり変わらないという理由で、レトルト食品の選び方や盛り付けの仕方だけを教える料理学校があったとしたら皆さんはどう思いますか?少なくとも、そこで料理の腕を上げる事は難しいと私は思います。しかし、音楽の世界ではこのようなレッスンが少なく無いのです。つまり、上手くなったように見えて、実は殆ど上手くなっていないと言う事があるのです。逆に言うと、技術の向上は最低限でも、上手そうに聴かせる方法が存在すると言う事なのです。私はそのような音楽を勝手に「レトルト・ミュージック」と名付けました。

 「本番が近いにも関わらず曲が仕上がらない。」とか、「パーティーで急に演奏を頼まれた。」等特殊な状態ではレトルト・ミュージックは大変有効ですが、「上手くなりたい。」とか「技術を向上させたい。」と言う方々は極力避けなければならない演奏方法です。今回は、私が気になるレトルト・ミュージックについてお話したいと思います。

 こんな事を言うと何人かの同業者に叱られるかもしれませんが、一番気になるのが「スイカ割りのようなレッスン」です。「ここは小さく。」「ここはアクセントで。」「ここは低く。」等と具体的だけれども楽譜が記号だらけになってしまう程の細かな指示から「ここは釘の頭のように。」「ここはビロードのような音で。」等々何だか良く分からない指示まで方法は色々とあるようですが、生徒さんが演奏する曲を頭から終わりまで、事細かに指示を出してレッスンして行くと言う物です。これは一見親切で丁寧なレッスンに見えます。この指示の出し方が、私にはスイカ割りをしている時に、周りの人たちが出している指示と同じに見えてしまうのです。本人は良く分かっていなくても、周りの人の指示を正確に聞き取り、その通りに体を動かすトレーニングをすれば、スイカが割れる。そして、スイカが割れた事を喜ぶ。これはゲームだからこれで楽しいのですが、技術の向上を目指している人にとっては如何でしょうか?私は大きな落とし穴があるような気がします。

 例えば、チューニングです。ある中学校の吹奏楽部を教えに行った時の話です。余りにも音程が悪いので、先生に尋ねたところ、「そうなんですよ。」「音程が悪いので全員にチューナーを買わせて、チューニングにも毎日1時間近くかけているのに一向に音程が良くならないんですよ。」「それで先生に来ていただきました。」との答えがかえってきました。生徒の楽譜を覗くと何やらびっしり書き込まれています。その中に矢印がやたら多いので(答えの想像は付いていましたが)聞いてみたところ、「これは音程です。」との返事がかえってきました。上向きの矢印は音を高く、下向きの矢印は音を低く取る記号だそうです。「音程を良くしたい。」「生徒に良い演奏をさせたい。」という先生の気持ちは良く分かりますが、これは大切な事を忘れてしまっています。それは「音」です。

 チューナーと言う機械を見て音を合わせ、先生の顔色を見て音を合わせ、譜面に書かれた記号を見て音程を調節する事で、生徒達は「音を聴く。」という音楽にとって最も単純で最も大切な事を忘れてしまったのです。だからいくら練習しても音程が良くならなかったのです。意外に思う方もいるかも知れませんが、チューナーは演奏する本人が自分の耳で音を判断できるようになって初めて役に立つのです。そもそも、チューナーは物理的に音を合わせることは出来ますが、音楽的に音を合わせる事はできないのです。そして、矢印は何の役にも立ちません。楽器の音程は絶えず変化するのです。今低くても10分後は高いかもしれません。今日高くても明日は低いかもしれません。たった今合っていたのに、リードを変えた途端合わなくなる事だってあるのです。もし、矢印が役に立つとしても、どれくらい高く、どれくらい低く演奏するのか表記出来なければ意味がありません。「それくらいは自分で判断するのです。」と言うかもしれませんが、それが自分で判断出来る人であれば初めから矢印など必要無いのです。そして、柔軟に音程を調節する技術も必要になってきます。またまた、脱線してしまいそうですので話を戻しましょう。

 つまり「スイカ割りのようなレッスン」で私が問題だと思う点は、教える側も教わる側も「音を聴く」「音で表現する」と言う音楽の基本となる事をを忘れ易いということなのです。「楽譜が無ければ何も吹けない。」「記号が書いて無ければ曲想が付けられない。」「誰かに指示を出してもらわなければ何も練習出来ない。」と言うのでは音楽の楽しさ、演奏する楽しさを殆ど味わう事ができないと思います。「スイカ割りのようなレッスン」で生み出される音楽を「塗り絵の様な音楽」「的当てゲームの様な音楽」と私は表現する事もあります。「塗り絵の様な音楽」「的当てゲームのような音楽」とは演奏している本人ではなく、教えている先生の個性ばかりが目立つ演奏、楽譜に書かれた事をただ機械的に演奏し、出された指示を守る事ばかりに気を取られて、音楽を忘れてしまっている演奏の事です。

 塗り絵ならば、誰でもそこそこの絵は描けるでしょう。簡単に自分が書いた絵を自慢したいならばそれも一つの方法です。しかし、本当に技術を身に付け、絵を描く楽しみを知りたいならば、下手でも良いから自分で絵を描いた方が良いのではないでしょうか?的当てゲームで勝敗ばかり気にして神経質にボールを投げるのも良いですが、ゲーム自体を楽しむのなら的から外れても構わないから、思いきりしかも気持ちよくボールを投げてみるのも必要なのではないでしょうか?これも、結果的には技術の向上につながるはずです。

 もし早く上手になりたいと思うのなら、上手く演奏できる曲ばかり演奏したり、上手く聴かせる工夫ばかりするのではなく、下手でも格好悪くても良いから、自分で音楽を作って見ては如何かでしょうか?そして、音楽を言葉(音楽記号等)や数値(周波数や時間等)に置き換えて理解しようとするのではなく、音そのものを理解しようとすべきなのではないでしょうか?そうすると、楽器を演奏する全ての人が皆さんの先生になるはずです。

 手軽に美味しい物を作りたいのならば、レトルト食品を利用するのも一つの方法でしょう。しかし、料理が上手くなりたいと思うのであれば、手間をかけ、失敗を繰り返しながら練習するしかありません。美味しい物を食べて味覚を向上させる必要もあるでしょうし、美味しかった料理を真似して作ってみるのも良いかもしれません。そして、「美味しい料理を作りたい。」と言う気持ちを忘れない事です。

 これを音楽に置き換えてみると、手軽に良い演奏をしたいのならば、レトルト・ミュージックを利用するのも一つの方法でしょう。しかし、楽器が上手くなりたいと思うのであれば、手間をかけ、失敗を繰り返しながら練習するしかありません。良い音楽を聴いて聴覚を向上をさせる必要もあるでしょうし、好きなプレーヤーの演奏を真似してみるのも良いかもしれません。そして、「良い演奏をしたい。」と言う気持ちを忘れない事です。と言う事になります。

半年計画 [コラム]

 運動能力を向上させ、技術を向上させるには、ある程度の継続的な練習と期間が必要になります。勿論、必要な期間にも個人差があります。全く経験がない運動能力を身に付ける為には時間が多く必要になりますし、以前似た様な運動をした経験がある場合は短い時間で身に付ける事ができます。つまり、以前ピアノ等を演奏していた事がある方は、Saxの為のフィンガー・トレーニングに必要な時間は短くなりますし、全ての指を別々に動かした事がない方がSaxの為のフィンガー・トレーニングをするとなると長い時間が必要になります。

 私の友人の医者、体育の先生等と話をしたところ、長くても半年も見ておけば運動能力を向上させる事ができる様です。私の経験からも同様の事を感じています。ただ、勘違いしないで下さい。これは半年で急にプロ並に演奏できると言う事ではありません。「技術をワン・ステップ向上させるには半年位見ておけば大丈夫でしょう。」と言うことです。「ワン・ステップとはどれくらい?」と質問が出そうですが、残念ながら私の文章能力では上手く表現する事ができません。今回は「ここは10回に1回は上手く吹ける。」と言うところが「ここならいつでも上手く吹ける。」となる事を、「技術がワン・ステップ向上した。」と考えて見て下さい。

 練習、と言われて頭に浮ぶのは「教則本を買って練習曲やスケール等を順番に練習して行く。」と言うものと「曲を決めて1曲々々仕上げていく。」と言うのが多いのではないでしょうか。先生に付いてレッスンを受けている方も、独学で勉強している方もこれに関しては同様だと思います。この方法は効率の面からも確実性の面からも良い方法だと思いますし、練習する側にしてみても自分の練習度合いが分かりやすく良い方法だと思います。ただ、この練習方法は運動能力のバランスを取る為(指とタンギングを合わせる等)にはとても効果があるのですが、運動能力を向上させるにはあまり効率が良い方法とは言えないのです。そこで、今回の半年計画の登場です。

 自分が特に劣っていると思う技術を半年先を目標にして一つ々々練習し克服していくのです。小指で思うようにキーを押せない人はその為の練習を、タンギングが遅い人は速いタンギングの練習を、高い(低い)音が上手く出ない人はその為の練習を今までの練習に追加するのです。

 例えば、苦手な人が多い小指の練習を例に考えてみましょう。小指の練習というとやはりフィンガー・トレーニングが思い浮かぶでしょう。しかし、力任せに練習しても何にもなりません。このような練習では指のフォームを崩し、アンブシュアを壊し、指を傷めてしまう事が少なくありません。これは、すぐに効果を出したいと考えるからでしょうが、フォームを崩し、指を傷めてしまえばそれを治す必要が出てくるのです。それでは結果的に時間がかかってしまいます。ですから、初めからゆっくりと時間をかけてトレーニングした方が良いと思うのです。

 初めは、小指で押さえなければならないキーを綺麗な指の形で、力を抜いて正確に触る所から始めるのです。勿論、音など出す必要はありません。これなら、音が出せない深夜にだってできますし、工夫すれば楽器がなくても練習する事ができます。もし、毎日練習できれば(疲れたら必ず休んで下さい。)1ヶ月程で小指がしっかりしてくるはずです。そうしたら、指に無理な力を入れない程度に軽くキーを押して練習してみます。その時に鏡などで指の形が崩れていないかを確認すると良いでしょう。この練習を2~3ヶ月続ければ、無理に力を入れなくてもしっかりとキーを押す事が出来るようになると思います。勿論、ここで上げた期間は一つの目安です。自分のペースでのんびりと練習をして下さい。そして、しっかりとキーを押す事が出来るようになってから、音を出してフィンガー・トレーニングをするのです。早ければ、3~4ヶ月である程度吹けるようになるでしょう。ですから、初めから半年のつもりで練習していれば、十分余裕があります。

 速いタンギングやフィンガー・トレーニングをする場合は相反する2つの練習を根気良く続けてみると良いでしょう。私が学生の頃は、「メトロノームを使って初めはゆっくり正確に、吹けるようになったらメトロノームのテンポを少しずつ上げて、練習しなさい。」「そうすればいつかは速いテンポで吹けるようになる。」と言われたものです。しかし、実際はこれではいくら練習しても、速いテンポでは吹けるようにならないのです。これは人間の体の構造に関係あります。専門書を読むと色々と難しい事が書いてありますが、簡単に言うと速い動きをする筋肉と遅い動きをする筋肉、速い動きをコントロールする脳と、遅い動きをコントロールする脳は違うと言う事です。つまり、ゆっくり練習しているときは遅い動きをする筋肉しかトレーニングできていませんし、遅い動きをコントロールする脳しか使っていません。これでは、いくら練習しても速い動きが出来るようにはなりません。速い動きを練習する為には速いテンポで練習するしかないのです。

 そこでまず、ゆっくりと正確にタンギングやフィンガー・トレーニングをすることで綺麗なフォームを作り、力を抜く方法を練習します。次に速いテンポの練習で体や頭を速いテンポに慣らしていくのです。初めはデタラメでも滅茶苦茶でも構いませんから、初めからある程度速いテンポで練習するのです。それで、余計な力が入ったりフォームが崩れてきたら、ゆっくり正確に練習して直せば良いのです。フォームが良くなり余計な力が抜けたら、また速いテンポで練習するのです。これを半年位普段の練習に付け加えてみるのです。そうすると、速いテンポの中で、自分の体や頭がコントロール出来るようになってきます。つまり、相反する2つの練習が1つにまとまって行く訳です。

 この他にも、スポーツのトレーニング方法を参考にし、相反するトレーニングを上手く組み合わせる事で、色々な練習が考えられるはずです。また、半年先に目標を置く事で無理をする必要もありません。つまり、無理な努力をする必要もありませんし、疲れたら休む余裕も十分あるのです。そして、この練習は普段の練習に付け加える(サブの練習)訳ですから、目に見えて成果が上がらなくてもそれ程焦る必要もありません。気が付きましたか?今までの文章が殆ど関係しているのです。

 試しに、これから半年先に目標を置いた練習を付け加えて見ませんか?

草野球のような音楽 [コラム]

 日本での歴史が長い野球は、現在では様々な楽しみ方がされています。それを(野球に関しては素人の私が)大雑把に分けると次の4つに分ける事が出来ると思います。

プロ野球   社会人野球   学生野球   草野球
 プロ野球は、野球を仕事としている人達によって行われるものです。当然、技術的にも最高のレベルを要求されます。収入も野球によって得る事が出来ますし、トレーニングしている間も報酬が支払われます。それに対し、社会人野球の場合、野球を仕事としている訳ではないので、収入は野球以外の物で得る事になりますし、トレーニング等も(基本的には)仕事以外の場所で、自分の責任で行わなければなりません。しかし、技術的にはプロ野球と同等のレベルを要求される場合もあります。

 学生野球は、その名の通り、学生によって行われるものです。これには先生の考え方や学校の方針によって様々なスタイルがあります。生徒に野球の楽しさを教える事が目的のもの、勝つ事が目的のもの、優秀な選手を育てる事が目的のもの等々、、、。少し違いますが、リトル・リーグもここに入れて良いと思います。

 そして、草野球です。これは野球が好きな人達が集まり、それぞれのスタイルで野球を楽しむものです。レベルも元プロ野球の選手や、国体の代表選手等から、グローブの付け方やバットの持ち方も良く解らない人まで様々です。結果よりも野球そのものを楽しむ方が多いのも草野球の特徴でしょう。

 日本の音楽を同様に分けると社会人野球にあたるものと、学生野球にあたるものの2つになってしまうような気がします。

 例えば、音楽で生計を立てている人の場合、その多くが演奏家や講師として収入を得ています。演奏家とは言っても日本で要求される演奏は、与えられた楽譜を流れ作業の様に機械的に演奏するものであったり、レパートリーとして持っている曲を何回も同じように演奏するものであったりするのが殆どです。ここには新しい技術の拾得や創作活動等は必要ありません。ですから、当然それら(新しい技術の拾得や創作活動等)の活動には報酬が出ません。つまり、日本ではプロとしての音楽活動では生活が出来ないのです。これが優秀な音楽家が海外に出て行ってしまう大きな原因にもなっています。

 また、講師の仕事は音楽家の仕事とは別の能力を要求されます。音楽家でなければ出来ない仕事だけれども、音楽家の仕事とは別のものだと考えて良いと思います。結果として、日本で音楽家として生活する為には音楽以外の仕事で収入を得、その収入で音楽活動を続けなければなりません。野球で言えば社会人野球と同じになります。日本では多くの音楽家が「社会人音楽家」だと言う事になります。

 学生の音楽は野球と殆ど同じと考えて良いと思います。違う点と言えば(野球に限らず)スポーツ関係の多くの指導者が、怪我を防止したり、子供の運動能力を高める為の専門的な知識を持って行るのに対し、音楽関係の指導者の多くがこれらに関する知識に乏しいと言う事でしょうか。その結果、無理な奏法で必要以上に長い時間練習させられ、体を傷めてしまっている子供が少なくありません。これらの多くが「コンクールで勝つ為。」と言う名目で行われているのが、とても残念でなりません。

 以前、リトル・リーグに関する記事で「リトル・リーグで変化球禁止。」と言うような内容のものを読んだ事があります。「レベルが上がってきたリトル・リーグで試合に勝つ為にピッチャーに変化球を投げさせる指導者が増えているが、身体の出来上がっていない成長期の子供に変化球を投げさせると、肩や肘を傷める事が多く、子供の野球生命を絶つ事にもなりかねない。」「多くの専門家が各チームの指導者に呼び掛けたが、一向になくならない。」「この際、ルールで禁止すべきではないか。」と言うような内容だったと思います。この記事の真偽の程は私には解りませんし、その後どうなったのかも知りません。ただ、一部の吹奏楽の指導者が同じような過ちを犯してます。私も機会があれば話をするようにはしているのですが、いつも答えは同じ「コンクールで勝つ為には仕方ありません。」です。何んとかならないものでしょうか?

 社会人音楽家でも音楽が出来、生活が出来るだけ私は幸せなのでしょうが、プロの音楽家としても生活が出来るような社会をつくる為の活動も行っていきたいと考えています。しかし、教育現場の事に関しては私一人ではどうする事もできません。残念ですが「勝つ事。」でしか音楽性を評価できない人達が多い間は変わらないでしょう。これらは、音楽を職業としている人達が少しずつ改善していかなければならないことです。しかし、音楽が好きで、音楽を趣味とする人達が力を合わせれば出来ることがあります。それが、草野球のような音楽です。

 ここでは難しい事は言いません。音楽好きが集まったらとにかく演奏してしまいましょう。下手でも良いのです。その時は下手な演奏を楽しんでしまいましょう。上手い人は引き立て役に回るくらいの気持ちを持てば良いのです。たまたま、上手い人が集まった時、真剣勝負をしてみれば良いのです。草野球チームの中には9人揃っておらず、試合の度にメンバー集めをするようなチームだってあります。一度も勝った事がないようなチームだってあります。それでも野球が好きで、野球が楽しくて続けている人達は沢山いるのです。反対に、草野球チームにもプロ並の力を持った人はいます。私が中学校の教師をしていた時、学校間の親睦と言う事で何回か野球の試合をした事があります。我がチームのピッチャーは野球を専門にしていた体育の先生です。試しにバッター・ボックスに立ってみましたが、球の速さに驚き、ど真ん中のボールで逃げてしまいました。打つ所の話ではありません。

 この先生は、相手が野球が出来ると分かると全力で投げます。ところが、人数集めで野球を良く知らないのに駆り出された女の先生等がバッター・ボックスに立つと下から投げて打たせてあげるのです。皆に楽しんでもらう為に、これ以外にも様々な心づかいをしていました。その時私は「この人は野球の楽しみ方を知っている人なんだなー。」と感心したものです。野球が出来る人は力と力の真剣勝負が楽しいのです。出来ない人は打てれば楽しいのです。このような時に「どちらが正しい野球の楽しみ方か。」等と言う議論は全く意味がありません。もし、この先生が野球を良く知らないバッターに「これが野球だ!」等と言って、全力で投げたらどうでしょう?その場はシラケてしまうでしょうし、バッター・ボックスに立っていた人は「自分には野球なんか出来ない。」と考えてしまうでしょう。そして、楽しみも勝敗だけになってしまうでしょう。このような場面では、それぞれが自由に野球を楽しめば良いのですし、色々な楽しみ方を知っている人は、皆の楽しみ方に合わせてあげれば良いのです。私自身もこの時の試合の勝敗は覚えていませんが、楽しかったシーンはしっかりと覚えています。

 音楽の場合は「何が正しい音楽の楽しみ方か。」という議論が多すぎるような気がします。その結果、音楽に興味があり、これから何か楽器をやってみようと考えている人達に必要以上のプレッシャーをかけてしまっているかもしれません。草野球のように、それぞれが自由に演奏を楽しみ、色々な音楽の楽しみ方を知っている人は、皆の楽しみ方に合わせて一緒に演奏を楽しむような楽しみ方があっても良いと思います。これが、私の言う「草野球のような音楽」です。何か名前を付けようと思ったのですが、中々良い言葉が浮びません。良い名前が浮んだ方は是非ご連絡下さい。

 皆で力を合わせて、草野球のような音楽の楽しみ方も開拓してみましょう!

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