良い音と綺麗な音 [コラム]

 私は「良い音」と「綺麗な音」を分けて考えるようにしています。楽器に十分な息が吹き込まれ、バランスよく倍音が構成され、しっかりと楽器が鳴っている音を「良い音」と呼び、息のもれる音等、音楽に必要のない音が少ない音の事を「綺麗な音」と呼ぶようにしています。先に述べた「綺麗な音」は誰にでも理解し易いのですが、「良い音」はちょっと解り辛いかもしれません。これを理解するにはある程度の専門的な知識が必要になるかもしれません。

 私は「将来性の有る音」の事を「良い音」と言うようにしています。それを具体的に言うと先程の様な事になります。これを分かりやすくする為に野球に例えてみたい(私が野球ファンなもので・・・)と思います。

 ある野球チームにピッチャー志願の生徒が二人入ったとします。一人は速くて伸びのある良い球を投げますが、全くコントロールがありません。もう一人はコントロールは素晴らしいのですが、球に伸びも無く、全力で投げても余り速い球を投げる事は出来ません。皆さんでしたらどちらのピッチャーに将来性が有ると思いますか?実際はこれに体格や野球のセンス等々色々な要素を加味して判断しなければならないのでしょうが、投げる球だけを見れば、ノーコンでも伸びの有る速い球を投げるピッチャーの方が将来性が有ると、私は思います。しかし、即戦力として考えた場合は球は遅くてもコントロールのあるピッチャーの方が良いはずです。

 先の例の「投げる球」に該当するのが「楽器を吹いた時の音」になるのです。『良い音』と言うのは『速くて伸びの有る良い球』にあたり、『綺麗な音』と言うのは『コントロールが素晴らしい球』にあたる訳です。少々音は汚く、音程は悪くても、楽器に十分な息が吹き込まれ、バランスよく倍音が構成され、しっかりと楽器が鳴っている人、つまり良い音を持った人は、楽器のコントロールを身に付ける事で将来素晴らしいプレーヤー(演奏家)になる可能性を多く持っています。但し、このタイプの人は即戦力には向きません。このようなタイプの生徒さんを上手くする為には、専門的な知識を持った人が、時間をかけてアドバイスする必要があるのです。しかし、現在の日本の音楽状況では、このように将来性を持った人達をゆっくりと時間をかけて育てる事が非常に難しくなっています。日本で多く求められているのは、大して上手くならなくても良いから、即戦力になってくれるプレーヤーなのです。また、習う人の多くが求めているのも同様の事です。その結果、日本中に溢れているマニュアルの多くが、即戦力のプレーヤーを育てるのに有効な物になってしまっています。それはそれで良いのですが、そればかりになってしまうと、折角素晴らしい能力と将来性(才能)を持っている人達の多くを潰してしまいます。これでは、運が良かった人しか自分の能力を発揮できなくなってしまいます。

 中学、高校の吹奏楽等で求められるのも即戦力のプレーヤーです。3年生だけでバンドを組む事が出来、3年生だけでコンクールに出場する学校があるとすれば、少なくとも2年間は能力を育てる時間があります。しかし、最近ではそのような規模のバンドを維持する事も、それだけの生徒を教える先生を確保するのも殆ど不可能です。コンクールで「勝ちたい。」と思うならば即戦力の生徒を沢山作るしかないのです。各学校の先生に「勝つ事よりも生徒を育てる事を大切にして下さい。」と言いたいところですが、勝たないバンドには生徒も集まらないし、予算も確保できない事が多い様なので、それもできません。即戦力の生徒を育てる勉強と言うのは勉強で言えば一夜漬けのようなものです。これで本当の力を身に付けるのは非常に難しいでしょう。また、中学のコンクールで必要な即戦力と、高校で必要な即戦力は違います。その結果、中学で3年間一生懸命練習して「上手い。」と言われていた生徒が、高校に入って初心者で始めた生徒よりも「下手。」と言われてしまう事が良く有るのです。つまり、中学で3年間勉強した事が無駄になってしまうことがあるのです。これも継続が力にならなかった例の一つです。

 また、「倍音がバランスよく鳴った良い音」と言うのは、音程を合わせるのが難しくなります。ちょっとでも音程が違うと、とたんに不快な音になります。それに対し、倍音が鳴っていない音と言うのは、少々音程が違ってもあまり不快に感じません。例えばドラム・セットがライブで曲毎にチューニングを変えているのを見た事がありますか?1つのライブを全て同じ調子の曲に統一する事はまずありません。ですから、曲は色々な調子になっているはずです。それにもかかわらずドラム・セットは同じチューニングで全ての曲に合ってしまいます。これは、ドラム・セットの各楽器には音程はありますが、楽器の構造上倍音が鳴らないからです。管楽器の場合も同様の事が言えます。倍音が鳴っていない音で吹くと、音程が合わなくても不快な音がしないので、それが良い音だと勘違いをしている人達が多くいるのも残念な事です。言う迄もありませんが、これは「良い音」ではありません。音楽に必要のない音どころか、必要な音迄消してしまった音です。そのような人達の中では、「良い音」を持った人がいると本当に音程を合わせなければならないので、そう言う人は度々「迷惑な音を出す人」にされてしまいます。。ただ、注意して下さい。私は「汚い音が良い。」と言っている訳ではありませんので、それだけは勘違いの無いようにお願いします。汚い音は本当に迷惑になってしまいます。

 私も時々コンクールの審査委員で呼ばれる事があり、最近の吹奏楽の技術的なレベルには驚いています。しかし、その割には、本当に良い音で演奏してくるバンドやアンサンブルが少ないのが残念でなりません。それこそ、「綺麗な音」と「良い音」を勘違いしているバンドが沢山有るのです。見方によっては、良い音を見失ってしまった人達が、他との差を付ける為に、技術に走っている様な気もします。これは、出てくるピッチャー全員が、皆変化球投手で、「他と差を付ける為には更に難しい変化球を勉強し投げるしか方法が浮かばない。」のと同じです。「これから上手く成っていこう。」と言う人達が、技に逃げるのはどうも好きになれません。時間がかかっても、本当の力を身に付ける努力をして欲しいものです。

 皆さん、長く楽器を楽しもうと思うのなら、小手先の綺麗な音に満足していないで、良い音で楽器を楽しみましょう!そして、良い音が綺麗に出せるようになったら、音だけはプロです。
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