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寝る子は育つ。 [コラム]

 ここでは、「運動能力的にできなかった事が出来るようになる。」と言う事を「上手くなる。」と考えて話を進める事にします。例えば、1秒間に1回しかタンギングが出来なかったのが4回出来るようになったとか、1秒間に1回もソラと吹けなかったのが、2回ソラソラと吹けるようになったとか言うような事を「上手くなる。」と考える訳です。

 上手くなるには(私が知っている限りでは)練習するしかありません。しかし、練習しても「上手くなった。」と感じる事は少ないと思います。それが多くの人に「私には才能がないんだ。」という挫折感を抱かせる原因の一つにもなっていると思いますが、このような理由でしたら、挫折感を抱く必要は全く有りません。練習してから実際に上手くなるまでには時間差があるのです。

 例えば、フィンガー・トレーニング場合、目的の1つに「指の筋肉を鍛える。」と言うものがあります。根気よく指を動かして筋肉を付けて行く訳ですが、練習している時は筋肉は付かないのです。つまり、練習している間は上手くはなっていないのです。それどころか、練習すればする程筋肉は切れていくそうです。ですから、急にスポーツをした後等、使った筋肉が熱を持ったり、筋肉痛になったりするのです。しかし、筋肉は、再生する時に以前よりも強いものになっていきます。実際はこの時に上手くなるのです。それで、上手くなる迄に(筋肉を再生する為の時間が必要になり)時間差が起こるのです。問題は回復し、再生する迄の時間に個人差(年齢差)が有ると言う事です。

 若い頃は少々無理をしても、一晩寝れば回復した人も、ある程度の年令になると回復する迄に何日か必要になってくるはずです。楽器の練習も同様です。若い頃は毎日練習すればその分上手くなっていた人が、ある程度の年令になると同じように練習しても上手くならないとか、練習すればする程下手になると言う経験をする事があります。これは、回復する前に更に次の練習をした時に起こります。練習で傷めた筋肉は回復し、再生した時に強くなるのです。回復する間もなく次から次へ練習をすれば、筋肉の機能は(切れはしても再生していないのですから)どんどん低下していきます。ひどい時は筋肉そのものを傷めてしましまい、回復出来ない事もあるのです。個人差はあると思いますが、私の経験では25才を過ぎたあたりから、休む事も練習と考えた方が良いと思います。

 次の問題は如何に休むかと言う事です。休んでばかりだと筋肉はどんどん衰えていきます。練習し過ぎれば筋肉を傷めてしまいます。一番良いのは専門家に4~5日サイクルの練習メニューを作ってもらい、そのメニュー通りに練習する事ですが、これは現実問題としては不可能です。一番簡単なのは疲れたら休む、回復したら練習するということです。趣味でSaxを楽しむ方の場合、やっと作った練習時間に休むと言うのは時間がもったいなく感じるかもしれませんが、その方が結果的には効率が良くなります。1日の練習の中でも2~3分で構いませんから、疲れたら休むようにして下さい。その間にストレッチ等するといっそう効果的ですし、自分が練習している曲のCDを聴くのも時間的に丁度良い休憩になります。勿論、短い時間休ませた位では筋肉は回復も再生もしないと思いますが、翌日に疲れが残りにくい(回復が早い)と言う効果があります。

 1日の練習での時間の有効利用と言う事でしたら、体のどの部分をトレーニングするか決めて練習する事です。これならば左手の練習をしている時は、右手を休ませる事ができます。その時にタンギングをしないで練習すれば、舌も休ませる事ができます。指の練習だけでしたら、音を出さなくても良い場合もあります。そして、左手が疲れてきたら左手に余り負担をかけない右手の練習をするのです。両手が疲れてきたら、タンギングの練習、ヴィブラート練習、口も疲れたらブレス・トレーニング等々工夫すれば色々な練習ができます。欠点は曲などの練習には使えないと言う事です。

 毎日練習できる幸せな環境にいる方(私などは毎日楽器を吹いているのに、練習時間は殆ど取れません。月に数時間程度です。)は全く楽器を吹かない日も作るようにして下さい。その日は、スポーツなどをして、全身を鍛えたり、長時間のコンサート、ライブに耐えられる体力を作るのです。楽器演奏の場合どんなに注意しても、片寄った筋肉の使い方、不自然な体の使い方をせざるを得ません。全身をバランスよく鍛えるのは長く楽器を楽しむ為にも必要な事です。そして、ハードな練習をした次の日はゆっくり休み体のメインテナンスに勤める事です。4~5日サイクルで計画的に練習し体を休める事が最も効率が良いトレーニングの仕方だと思います。

 ところで、先程練習しても「上手くなった。」と感じる事は少ないと書きましたが、勿論反対の場合、つまり練習している間に吹けないところが段々吹けるようになり「上手くなっている。」と感じる事もあります。これは練習する事により、右手、左手、タンギング、ブレス等バラバラだった運動能力を上手くコントロール出来るようになっているのです。運動能力の面だけで見るとこの時は余り技術は向上していません。将棋に例えると運動能力を向上させると言う事は持ち駒を増やすということですし、運動能力を上手くコントロールすると言うのは今持っている駒を如何に有効に使うかと言う事になります。これも大切なのですが、今回の話とは目的が違ってしまうので別の機会にお話する事にします。

 計画的に上手に休む事が出来る人(寝る子)は効率良く運動能力を向上させる事が出来、着実に上手くなる(育つ)と言う事です。

二重人格になろう! [コラム]

 今度は上達の早い性格について考えてみましょう。私の経験では、気持ちの切り替えの上手い方や、柔軟な考え方のできる方は、比較的上達が早いような気がします。気持ちの切り替えが下手な方は、演奏会等でミスをした場合、それが精神的にマイナスに作用する場合が多く、それを克服するために多くの時間が必要になります。また、一つの考えに固執する方は調子が良い時は良いのですが、一度壁に当ると中々そこから抜けだせない場合が多いのです。しかし、持って生まれた性格や長い時間をかけて作り上げて来た考え方を変えるのは難しいことです。そこで、音楽に関してだけ二重人格になることをお勧めします。

 「二重人格になれ!」等といきなり言われて戸惑う方も多いでしょうが、実際にやってみるとそんなに難しい事ではありません。練習する場合、自分の目的とは反対の練習や、自分が正しいと考えるものとは反対の練習も一緒にするのです。例えば、高い音を練習する場合、一緒に低い音も練習するのです。良い音を出すためには厚いリードが良いと思うならば、薄いリードで良い音を出す練習をするのです。タンギングの練習をするならばロングトーンもセットにするのです。これも、スポーツに置き換えてみると考えやすいでしょう。高くジャンプをする場合、低くしゃがみ、ボールを遠くに投げる場合腕を大きく後ろに引くはずです。つまり、反対の動作がとても大切なのです。沢山息を吐くためには、沢山息を吸わなければなりません。クラシックが好きならジャズを研究するのです。暗譜が苦手な人はいつも譜面を置いて練習しますが、暗譜が苦手な人こそ暗譜で練習すべきです。但し条件があります。無理はしない事です。

 私は大人の生徒さんに「先生はあまのじゃくなんだから。」と良く言われます。これは、生徒さんが人から聞いた事や、本で読んだ事を私に質問した時に、必ず「それでも良いのですが、こんな考え方もありますよ。」と付け足すからでしょう。大人の場合一度考え方が固まってしまうと。それを変えるのはとても大変になります。しかし、音楽の理論やマニュアルは例外だらけなのです。柔軟な考え方が出来ないと必ず壁につきあたってしまいます。これから、もっともっと勉強して行かなければならないときに、一つの考え方に捕われて欲しくないのです。ワン・ポイント・レッスンで薄いリードを勧めているのは薄いリードがベストだと考えているからではなく、「厚いリードが良い。」と信じている為に伸び悩んでいる方が多いからです。私のレッスンで厚いリードを勧める場合も勿論あります。

 それから、殆どの方が(私自身も)演奏会などの本番では良い演奏をしたいと考えるでしょう。その結果練習で上手く出来ないところで「本番だけでも良いから上手く吹いてやる。」みたいな気持ちになりがちです。そして、苦手なところに神経を集中したばかりに、普段間違えないところで間違えたりしてしまうのです。これは、ピンチで調子の良い大打者を打ち取っておきながら、ピンチでも何でもないところで調子が悪い打者にホームランを打たれて負けたピッチャーのようです。大打者に打たれた場合は「力不足だった。」と諦めも付き、「この次は頑張るぞ!」と前向きに気持ちを切り替えやすいのですが、打ち取って当たり前の打者に打たれた場合はショックに悔しさが加わります。これは後を引きます。演奏にミスはつきものだと考えて下さい。ミスをしない演奏を目指していると、中々上達しないばかりか、単調で緊張感がなく、つまらない演奏になりやすいのです。もうそろそろ、お解りですね!「本番ではミスをしてはいけない。」と考える方が多いのでこのような事を言う訳です。

 また、1曲全部集中するのも初めは難しいと思います。そこで、緊張する場所とリラックスする場所を予め決めて練習しておくのです。つまり、2つの性格を使い分ける事も練習するのです。まずは、確実に吹けるところに集中し、苦手なところは運に任せると言うのはいかがでしょうか?これができたら今度は、練習では集中し本番ではリラックスするようにするのです。勿論機会があれば反対の方法も練習してみるのです。こうしていく間に自分に一番合った方法が見つかって行くでしょうし、多くの経験を積む事で柔軟性も身に付くはずです。

 「上手くなったら人前で演奏しよう。」と言う考え方よりも「人前で演奏しながら上手くなろう!」と考える方がメリットが多いと思います。その時に、相反する2つの事を(工夫して)試してみて下さい。繊細な演奏と大胆な演奏。リラックスした演奏と緊張した演奏。スピード感のある演奏とスローな演奏。十分練習した演奏と殆ど初見に近い演奏等々色々考えられるはずです。いつも真面目な人がステージでは仮装等をしてふざけたり、いつも戯けている人がステージでは渋く決めたり、ステージでは別人になっても良いではないですか。そして、自分が人前で一番力を発揮できる方法を見つけられたら、きっと演奏する事が楽しくなるはずです。その為に、二重人格を(計算して)利用しましょう。

マニュアル世代 [コラム]

 前回は、私のちょっと先輩にあたる年代の生徒さんで伸び悩んでいる方について書きましたが、今度は私の随分後輩にあたる年代の生徒さんで伸び悩んでいる方達について書いてみようと思います。

 勿論、伸び悩む理由は一つではありません。残念ながら一番多い理由は「やる気がない。」というものですが、これは仕方がない部分もあります。なぜなら、それらの多くが、元々楽器等習いたくないのに、習い事の一つとして無理矢理親に連れて来られた子供とか、「特技があると内申書に有利だから。」という理由で習いに来た子供達だからです。これは、子供達の責任と言うよりは、社会の(大人の?)責任も多いような気がします。

 今回取り上げたいのは、上手くなりたいのに中々上手くなれない子供達の例です。これで、一番多いのが体力不足の子供達ですが、これは指導する人が体力作りに関して専門の知識を持っていて、1日の練習時間を体に負担をかけない程度に押さえるとか、楽器だけでなくスポーツもさせるとかすれば、特に問題はありません。特に成長期の子供の場合、長い時間練習させることは絶対に避けなければなりません。ですから、短い時間で如何に多くの事を練習させるかが、指導者の腕の見せ所になります。

 次に多いのが、今回特に取り上げたい「マニュアル世代の子供達」です。残念ながら現在の教育方法ではテストや成績等の点数で子供を評価することが最も簡単な方法です。教育の現場の先生方も努力はしているようですが、中々上手く行かない様です。また、私達(私自身も)も気がつかない内にそれに慣れ、点数で子供を評価してしまっているかもしれません。その結果、誉められる為に良い点を取る事に疑問を持たない子供達を生み出しています。最も効率良く良い点数を取る方法はマニュアル通りに素早く答えていく事です。答えを出すことに専念し、いちいち疑問など持たない方が良いのです。これに慣れてしまった子供達の事を私は「マニュアル世代の子供達」と呼んでいます。彼等は、応用とか工夫とか言うことが苦手になってしまっています。そして、すぐに答えが出ないことに関しては興味が持てないのです。勿論、これは一部の子供達です。

 彼等は「何年やれば上手くなるの?」「1日に何時間ぐらい練習すれば良いの?」「どの本を練習すれば上手くなるの?」「楽器はどこのがいいの?」「リードは何日使えるの?」という類いの質問を連発します。これらの答えは状況によって全て答えが違います。

 リードは自然のものを使っています。1枚々々全部違うのです。「ダメになるまで。」としか答えようがありません。ダメになったリードを自分で見分けられるようになるのも、習う目的一つのなのです。楽器は予算、目的、体格等々によって変わってきます。どこのブランド(メーカー)が良いとか、高い物の方が良いとか、そんな単純なものではないのです。ですから、楽器を選ぶ時専門家のアドバイスが必要になるのです。余談ですが、趣味の場合、憧れの楽器を持つと言うのも一つの選択肢です。教則本は技術の向上に使う物です。指が動かない人にはその為の、高い音が出ない人にはその為の、タンギングが苦手な人にはその為の練習をする必要があります。その目的やレベルによって教則本の種類や練習する場所(ページ)は変わってきます。教則本は辞書の様に使う方が効率が良い筈です。初めから順番に練習すれば良いとか、教則本にレベルを付けて「初めはこの本で次はこの本。」のように使う物ではありません。ですから、これも「この教則本が良い!」とは単純に言えないのです。

 偶然その場に居合わせたのですが、あるピアニストがピアノを習いに来た生徒に「料理はしますか?」と突然質問しました。その生徒は「指を痛めるといけないので、していません。」と答えました。すると、そのピアニストは「日常生活が出来ないのなら音楽を辞めなさい。」と言っていました。私もそう思います。「何時間練習すれば良いか?」ではなく「自分の生活の中で何時間練習できるか。」が大切なのです。ですから、練習時間は1人々々変わってきます。そして一番大切なのが、楽器を習う目的なのです。これらが分かって始めて「何年くらいやれば上手くなれるか。」つまり「何年くらいで目的を達成できるか。」の目安が(ある程度)たてられるのです。

 マニュアル世代の子供達は皆一様に、同じ楽器を持ち、同じ時間練習をし、同じレッスンを受け、同じ期間で同じ数の(しかも同じ種類の)教則本をクリアしていこうとします。これには無理があります。無理をすれば上達しないのも当然かもしれません。技術の修得には個人差があるのです。自分のペースで自分に合った練習の仕方をし、自分に合った楽しみ方をすれば良いのです。その為のアドバイザーになることも先生方の仕事だと思います。そして、マニュアル世代の大人達を増やさない為に音楽くらい自由に楽しみましょう!

50の手習い [コラム]

 最近、社会人になってからサックスを始める人が増えています。その中には「仕事に余裕が出来たから。」「子育てが一段落したから。」と言う理由で楽器を始める50才前後の方も沢山います。

 このような方々が一様に言うのは「この年から始めたのでは上手くはなりませんよね。」と言うような意味の事です。確かに、成長期の子供に比べれば運動能力的にも、吸収力に関しても劣っているでしょうが、趣味で楽器を楽しむには何一つ問題はありません。外国の演奏家に聞くと「勿論個人差はあるけど、70才位までは上手くなるはずだよ!」と答えます。友人の体育の先生や医者等に聞いても同様の答えが返って来ます。そう考えれば50才なんて若いものです。

 私が留学していたボストン大学には50才の音大生がいました。彼は子供の頃から音楽を勉強したかったけれども、経済的に余裕がなく音楽を勉強することは出来なかったそうです。そこで彼は会社を作りそれを大きくし、音大に行くだけのお金を作り、ゆとりが出来たところで勉強を始め、やっと音大に入ったのが50才だったと言う事です。彼に会ったことはあるのですが、50才になって音大生になった理由はアメリカの友人から聞きました。

 当時、私はプロとして演奏することを諦めていました。国立音楽大学に入ってすぐ、ひどい腱鞘炎になり、それがきっかけで軽い右半身麻痺になり、大学時代に充分な練習ができなかったのです。何年かは楽器どころか日常生活にも支障がありました。とりあえず練習が出来る様になったのが26才の頃です。26才というのは、当時の私の考えではプロになるには遅すぎる年令でした。そして、私がアメリカに行ったのは27才です。しかし、アメリカの友人は「お前は27才だろ?」「しかも、一度は専門の勉強をしたんだろ?」「何で諦めなければならないんだ?」「やる気があるならやってみろ!」と励ましてくれました。そして体に障害を持ちながらもプロとして演奏しているプレイヤーの話も私を勇気付けてくれました。皆さん良くご存知のD.サンボーンもその一人です。

 しかし、練習しなおすと言ってもやはり若い頃の様には行きませんし、健康の事を気にしないで練習していた頃とも勝手が違います。そこで、トレーニングの為の専門の知識が必要になってくるのです。私の場合独学で勉強しましたが、探してみると日本語に訳されたものでも沢山の専門書が出ています。外国語のものも含めると相当の数になります。その知識から言っても「50才からでも充分上手になれる。」と確信しています。

 ところが、実際には伸び悩んでしまう方が少なくありません。色々と理由が考えられますが、一番の原因は考え方にあるような気がします。特に問題なのは、これから新しい事を勉強しようとしているのに、今までの経験でそれらを理解しようとする事です。これは食べた事も見た事も無い料理を、他人の話と写真だけを頼りに作るのに似ています。美味しい料理を作るには、まずそれを食べて味をしっかり覚えていないと作りようがありません。料理の本には材料やその量、調理の仕方や火加減など詳しく載っていますが、その中には「少々」とか「弱火」など好みや状況によってどうにでも解釈出来る様な部分が沢山あります。最終的には勘に頼らざるを得ません。その勘は、実際に食べた時の経験や以前料理をした時の経験によって支えられるのです。経験は他人の話や写真では得る事ができません。これと同様に、教則本に書かれていることは、ある程度経験を積んでからでないと感覚的には理解できないのです。つまり、「教則本に書かれていることを理解してから練習すれば上手くなる。」という考え方には無理があるのです。

 例えばアンブシュア(口の形)を教えたとします。私が生徒さんを見て「ここの筋肉が足りないな。」「まず、ここの筋肉を鍛えよう。」と考え、それを説明し、その為のアンブシュアを指事したとします。すると「いや、それは私が聞いた(読んだ)話とは違う。」と、自分の知識で理解した事だけで練習しようとすることがこれに当たります。また、「いやー、それは無理ですよ。」などと初めから諦めてしまう。このような方が伸び悩んでいる方の中には以外と多いのです。これでは、医者が処方箋を出しても患者が飲まなければ病気が治らないのと同じで、どうしようもありません。勿論、私(先程の例では医者)の指事が全て正しい訳ではありませんが、一つ々々クリアして行かなければ問題は解決して行かないのです。

 また、前回の「スポーツを真似よう!」で書いた中の「楽器を操る為にはある程度の練習と時間が必要だ。」と言うことを理解していない方が多いのも原因の一つでしょう。これは、やはり「楽器を演奏するのに運動能力は必要無い。」と考えている方が多い為でしょうか。吹き方さえ習えばすぐに良い音が出ると思っている方が少なくありません。楽器演奏をスーポツと同じに考えていただければ、もっと上達は早いと思うのですが、、、。

 もう一つは、楽器を演奏する前に、楽譜にこだわる方が多いと言う事です。初めて楽器を習う方は決まって「あの~、楽譜が読めないんですけど大丈夫ですか?」と聞いて来ます。これは、「まず楽譜が読めないと楽器は上手になれない。」と考えているからでしょう。楽譜を読む事と楽器を演奏する事とは全く別の事だと考えて下さい。もともと、人間には楽譜を読みながら楽器を演奏するという運動能力はないのです。初めからそれをしようとすれば挫折するのは当然の事なのです。自動車教習所でも習いましたが、反射神経が良い人でも目で見てから行動するのには0.5秒~0.6秒程かかるそうです。これは、ちょっと速い曲の1拍の時間です。つまり、楽譜を見て演奏すればどんなに反射神経が良い人でも曲によっては1拍遅れるということです。これでは演奏になりません。実際には演奏する曲を覚えるしかないのです。楽譜を読みながら演奏するためには、楽器とは別のトレーニングをする必要があるのです。ですから、演奏を仕事にしている人以外は楽譜を読みながら演奏出来る必要はないのです。「楽譜は自分が今練習している曲を思い出す為。」くらいに使えば良いのです。

 私は、楽譜を見て練習するよりも、音(運指)を口で言ってもらいながら曲を教えてもらい、そのレッスンをまるごと※録音してしまうことをお勧めします。そして、その録音を聞きながら練習するのです。その録音には先生の模範演奏も入れておけば完璧でしょう。楽譜などの理論の勉強はある程度、吹けるようになってから勉強した方が良いと思います。

※録音する場合はカセット・テープの様に機械によって音の高さが変わってしまう物よりもMDやDAT(知っている方に聞いて下さい。)の様に音の高さの変わらない物が良いと思います。ビデオも音の高さが変わらないHi-Fi録音やデジタル録音が出来る物をお勧めします。

スポーツを真似よう! [コラム]

 私が言うまでもないことですが音楽は芸術です。しかし、楽器を演奏する為には様々な運動能力が必要になります。持久力、瞬発力は勿論、演奏中に起こるあらゆることに対応する為の判断力、そして意外でしょうが、動体視力まで必要になるのです。つまり、スポーツをするのと同等の運動能力が必要になるのです。

 しかし、この事に対する認識は日本ではまだ少ないような気がします。その証拠に「家の子は運動はダメなので、楽器を習わせようと思うのですが、いかがでしょうか?」と言う相談を良く受けます。このような質問をするのは「楽器を演奏するのに運動能力は必要無い。」と考えているからです。また、楽器の練習というと「ただひたすら楽器を吹き続ける。」というのもその一例でしょう。これをスポーツに置き換えると「朝から晩まで試合をしている。」と言うのに近いと思います。スポーツでは一日の練習の中でウォーム・アップやクール・ダウンを行うのは当たり前ですし、体力作りやフォーム作りに多くの時間を裂くのも当たり前です。しかし、楽器の練習の場合はどうでしょう。これらをあまり重要には考えていないように思います。

 また、体力作りに関して無知な指導者が多いと言う事も否定できないと思います。腹式呼吸の練習と称して腹筋のトレーニングをすると言うものや、口の筋肉を鍛えると言う理由で厚いリードを付けて練習する等と言うものもその一例でしょう。

 まず、腹式呼吸について考えてみましょう。腹式呼吸と言う言葉に「腹」と言う字がある為なのでしょうが、腹式呼吸にしろ胸式呼吸にしろ呼吸をするのは肺です。腹筋を鍛えたところで呼吸を鍛えることはできません。しかし、勘違いをしないで下さい。私は「腹筋運動が無駄だ。」と言っている訳ではありません。腹筋は勿論、体を支える筋肉を鍛えることは楽器を演奏する上でとても大切なことです。是非行って下さい。ただ、「腹式呼吸を鍛えるのであれば腹筋を鍛えても意味がありません。」「きちんとしたブレス・トレーニングをして下さい。」と言っているのです。ブレス・トレーニングについてもいずれOne Point Lessonで取り上げるつもりです。

 次に、厚いリードで吹くと言うことはボーリングで言えば「重いボールで練習すれば腕の力が付いて上手くなる。」野球で言えば「鉄のボールでキャッチボールをすれば、肩の筋肉が付いて球が速くなる。」と言うのに近い発想です。皆さんはこれで本当に上手くなると思いますか?筋肉が付く前に関節を痛め、上手くなる前にフォームが滅茶苦茶になってしまうのが殆どだと思います。つまり、これで上手くなるのは一部の強靱な体を持った人だけです。普通は重いボールを使う為にはその為の、速いボールを投げる為にはその為の練習を別にするはずです。

 また、ちょっと吹いてみて上手く音が出なかったり、指が動かなかったりしただけで「自分には才能がない。」と諦めてしまうのも同じ理由からだと思います。スポーツだったら、ちょっとやってみてだめだったら「最近運動不足だな。」「もう少し体を鍛えよう。」と考えるのではないでしょうか。楽器も同じに考えれば良いのです。「中々良い音が出ない。」と愚痴る前に良い音を出すために必要なトレーニングをするのです。「中々指が動くようにならない。」と諦める前に指を動かすトレーニングをするのです。

 楽器を始めた人が目標にするのはCDで聴いた演奏であり、先生である場合が殆どでしょう。残念ながらそれはすぐには出来ません。それなりの練習が必要になります。これを私の好きな野球に例えると、野球を始めたばかりで「野茂選手のようなボールが投げられない。」「私には素質がないんだ。」と言っているようなものです。目標は高い方が良いと思います。しかし、目標が高ければ高い程実現には練習が必要になります。また、野茂選手のようなボールが投げられなければ野球が出来ないかと言うとそんなことはありません。野球を楽しみながら個人的には最高の目標(例えば野茂選手)を目指す事は充分可能です。音楽も同じように考えれば良いのではないでしょうか。自分の技術が目標に近付いてから音楽を楽しむのではなく、楽しみながら自分の技術を向上させて行けば良いのです。自分が吹いてみたい曲は「自分にはまだ早いかな?」等と余計な事を考えずに、吹いて行けば良いのです。但し、肉体的にも精神的にも無理はしないことが絶対条件です。

 一つ一つ例を挙げているときりがないのでこれくらいにしますが、楽器で行き詰まった時、そのときの自分の状態をスポーツに置き換えて見てはいかがでしょうか。きっと解決策が見つかると思います。また、楽器演奏をスポーツと同じに考えると楽器を吹く以外にもトレーニングしなければならないことが沢山ある事に気が付くはずです。趣味で楽器を楽しむ人の場合楽器を吹く場所と時間を作るのは容易ではありません。しかし、楽器が吹けない時の時間を上手に使う事ができれば、楽器を吹く時間が短くても早く上手になる事ができるのです。スポーツの良いところをもっと真似しましょう!

上手な人とは? [コラム]

 Saxが上手な人とはどのような人でしょうか。「指が速く動く人。」「高い音が出せる人。」「タンギングが速い人。」の様に技術的な事で判断する場合もあれば、「上級のテキストを吹いている。」「難しい曲がスラスラ吹ける。」の様に吹ける曲で判断する場合もあるでしょう。中には「○○さんは5番のリードで音が出せる。」とか「○○さんは5時間吹いても疲れない。」の様に音楽とは違うことで判断している場合も少なく有りません。

 私は、「思い通りにSaxを操れる人。」が本当にSaxが上手な人だと思います。

 例えば、指がどんなに速く動いてもタンギングがその速さに追い付かなければ実際に曲で使うことはできませんし、逆の場合にも同様のことが言えます。また、いくら高い音が出せても、いくらタンギングが速くてもそれだけで作られた曲は(練習曲を除き)無いと思います。たとえ、あったとしても聴いている方が耐えられないでしょう。技術面では基本がしっかり出来て、それぞれの技術のバランスが取れている事が大切です。ですから、タンギングの練習をする場合はロング・トーンと一緒に、高い音を練習する場合は低い音と一緒に等々、技術練習をする場合は色々と組み合わせる必要があるのです。

 次に、難しい曲が吹ける人が本当に上手な人でしょうか?これは他人を驚かす(?)には最も効果的ですが、それだけでは上手な人とは言えません。その難しい曲をコントロール出来て始めて上手な人と言えるのです。

 例えば、ものすごく速いボールを投げられる人がいたとします。速いボールは人を驚かすのには効果的でしょう。しかし、そのボールがコントロール出来なければ野球の試合にピッチャーとして出ることは出来ません。つまり、役に立たないのです。同様に、いくら難しい曲が吹けてもそれをコントロール出来なければ人前で演奏することは難しいのです。「あいつ、練習の時は上手なんだけどな~。」とか「あいつ、何吹いても同じ感じなんだよな~。」と言う人の多くがこのタイプです。

 自分が得意なテンポ、音色、音域で良ければ練習さえすれば誰でも難しい曲が吹けるのです。しかし、これでは伴奏や会場等の条件が変わった場合それに対応できませんし、選曲や演奏の仕方がいつも同じになってしまいます。その状況に合わせて演奏の仕方を変えられる人が上手な人であり、それが出来る範囲がその人の実力と言えるのです。

 それから、体力はあった方が良いのは当たり前ですが、それと楽器の上手下手とは全く関係がありません。「口から血が出るまで練習した。」とか「倒れるまで練習した。」などと言うのも同様です。それどころか口にはリードをコントロールする為に必要な筋肉や神経があるのです。もし、それらを傷めてしまったら何にもなりません。また、「口を傷めない為に」と言う理由で歯に紙などを巻いている人がいますが、それは対処療法にしか過ぎません。つまり、怪我をした時に絆創膏を貼るのと同じです。それは本番前に不注意で口を傷めてしまった時など緊急時に使う物です。紙を巻かなければ口を傷めてしまうのであれば、吹き方を改めるべきです。もう一つの例の場合ですが、倒れる直前は実際には練習になっていないはずです。それならば、一度休んで回復したところで練習した方が絶対に効果的です。勿論プロになろうと言うのであれば話は変わってきますが、、、、。

 このような理由で「上手な人とはSaxを思い通りに操れる人。」と考えていた方が間違いが少なくなると思うのです。そして、ここで大切なのは「自分のSaxでこんな風に吹きたい。」「こんな音を出したい。」と言う気持ち(思い)です。

努力なんかいらない! [コラム]

 話が混乱するといけないので、まず努力を二つに分けて考えてみましょう。

 良い言葉が見つからなくて上手く言えないのですが、何とか理解して下さい。まず一つは、自分が自分自身に対して感じるもの、もう一つは他人が自分自身に対して感じるものです。

 例えば、私が「最近俺は頑張ってるな。」と感じたとします。これは私が私自身に対して感じている努力です。それに対して、ある人が私に対して「お前最近頑張ってるな。」と感じたとします。これは他人が私に対して感じている努力です。私が必要ないと思うのは前者の方、自分が自分自身に感じている努力です。

 では、「自分は努力している。」と感じる時はどういうときでしょうか?勿論、ケース・バイ・ケースで色々な理由が考えられます。しかし、楽器を勉強している人の場合、ある一つのケースが多いような気がします。その一つのケースとは「プレッシャーをかけられた時。」です。

 一番多いのが「これを練習して行かないと叱られる。」というケースです。次に多いのが「これが吹けないと恥をかく。」というケースでしょう。これは発表会やコンクール等の本番を控えた時に多いと思います。これらはある意味では追い詰められた状態です。私はこの状態が必要ないと思うのです。

 日本では習い事をすると「上達する為には厳しさが必要だ。」と言うのが当たり前になっているようです。つまり「努力無しには上達は無い。」と考えられています。その結果「楽しみたい。」と思っている人たちは気持ちのどこかで上達する事を諦めてしまっています。しかし、本当にそうでしょうか?楽しみながら上達は出来ないのでしょうか?

 皆さんは趣味や遊び没頭していたら、アッという間に時間が経っていたとか、気がついたら朝だったと言う経験はありませんか?また、それとは反対に嫌な仕事や勉強をさせられて、時間が経つのが遅く感じたり、時間の割には仕事や勉強がはかどらなかった経験はありませんか?何かでプレッシャーをかけられ、追い詰められた状態でする練習は後者の方に近いものです。嫌な練習は時間が経つのが遅く感じ、練習時間の割には身に付かないものなのです。また、このような精神状態でする練習は体に余計な力が入り、悪い癖が付く事も少なくありません。このような場合は最悪です。練習すればする程下手になっていくのですから、、、。

 「自分はこんなに努力しているのに、全然上手くならない。」「きっと自分には才能がないんだ。」と感じている人の多くがこのような間違いをおかしているのです。また、このような人に限って練習量を「毎日3時間練習している。」とか「この曲は合計100時間ぐらい練習している」とか時間で表現しようとします。

 少なくとも音楽の場合、練習量は時間では表せません。管楽器の場合は、一度に音色、音程、フィンガリング、ブレス、タンギング、という技術的な事を考えながら音楽的な表現もしなければならないので集中力が大切になってくるのです。これは、練習の時から注意していなければ急にはできないものです。嫌々している練習でこの集中力を保つのはまず無理でしょう。また、集中力を欠いた練習は何時間しても、本番等の緊張した状態では約に立ちません。本番に弱い人の多くがこのような集中力を欠いた練習をしているのです。

 せっかく練習するのでしたら練習しただけ上達したいでしょうし、それを本番で生かしたいと考えるでしょう。それにはどうしたら良いのでしょうか?私は次のように考えています。

 まず、しっかりとした目的を持つ事です。「この曲が吹けるようになりたい。」「この人のような音が出したい。」とか「女の子に(男の子に)持てる演奏がしたい。」とか何でも良いのです。しっかりした目的を持つ事です。そして、あまり気乗りがしない時は無理な練習はしないことです。そして何より大切なのは自分にとって楽しい練習の仕方を早く見つける事です。その方法を見つける手助けがこの「サックスなんか難しくない!」という文章で出来ればと私は思っています。

 また、プレッシャーがかかる時にはどうしたら良いのでしょうか?私は少し考え方を変えれば良いと思っています。習っている人の場合、見栄を捨て「自分は下手だから習っているんだ。」と言う事を自分自身に言い聞かせ、それを態度で先生の前で素直に出す事です。そうすれば練習が間に合わなくて叱られても「あぁ、下手だったから仕方ないな。」と納得できるはずです。しかし、この時に注意して下さい。ただ叱るだけで、皆さんが上達するためのアドバイスをしてくれない先生の場合は、先生に問題があるかもしれません。

 ちょっと話がそれてしまいますが、趣味で楽器を習っている人の場合、仕事や勉強で忙しくて練習できない場合が多々あります。それを叱るだけでは先生とは呼べないと思います。練習時間が取れなかった場合「忙しかったらこのような練習をしてきて下さい。」とアドバイスをしてくれるのが先生であり、練習して来たのに上手く吹けなかった場合「ここの練習の仕方が悪かったのですよ。」とか「今度はこの練習をして来て下さい。」と次のアドバイスをくれるのが先生だと私は思います。

 話を戻しましょう。発表会やコンクール等の本番の時は「上手く出来なかったらどうしよう。」とか、「良い演奏をしてやろう。」と考えるのではなく、「この演奏でどこまで、自分の力が出せるか試してみよう。」くらいの気持ちで良いと思います。もし、ミスったら自分の力が発揮できなかったのです。勉強中なのですから恥でも何でもありません。また、練習して次の本番で自分の力を試せば良いのです。

 長々と書きましたが、私が言いたい事は、「怒られたくない。」とか「恥をかきたくない。」と言うマイナスの気持ちで練習した時と「誉められたい。」とか「自分が気持ちよく吹きたい。」と言うプラスの気持ちで練習した時とではどちらが効果的かと言う事なのです。また、自分が今どちらの状態で練習しているか判断するために努力を2つに分けて考えてみたのです。自分が努力していると思っている時の多くがマイナスの気持ちの場合が多く、自分にはその気がないのに他人は努力していると思っている場合はプラスの気持ちの場合が多いと思うのです。

 ですから、「厳しさとか努力とか考えずに、自分の目的に向かう事を楽しんでいる時が一番良い時なのではないですか?」「上達するためには努力なんて意識しない方がよいのではないですか?」つまり「努力なんかいらない。」ということです。
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